目次

第71号: 〜ネットバンキングとユニバーサルデザイン〜 (2002/08/20)
第72号: 〜日本の親子 in オーストラリア〜 (2002/09/03)
第73号: 〜温泉考…キツネとサル…〜 (2002/09/17)
第74号: 〜温泉考(2)…何が体にいいのかなぁ…〜 (2002/10/01)
第75号: 〜ことば考…〜 (2002/10/15)
第76号: 〜ホーム〜 (2002/10/29)
第77号: 〜「守・破・離」〜 (2002/11/12)
第78号: 〜とある、イベントのお話…〜 (2002/11/26)
第79号: 〜大人も子どもも、一人で歩けなければ…〜 (2002/12/10)
第80号: 〜今年 最後の いきどおり〜 (2002/12/24)

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○今年は 台風がよくくるね の(2002/08/20)第71号より
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【kazumi のワープ】
   〜ネットバンキングとユニバーサルデザイン〜   小田和美
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 ネットバンキング、便利ですね。銀行って、3時で終わっちゃうし、窓口は
いついっても並んでいる。第一、取引銀行は家の近くにあるけれど、銀行が空
いてる曜日の時間帯には、家の近くにいることないものね。でも、銀行とのご
縁は、切ることできない。だから、とっても、ネットバンキング、便利ですね
〜!
 というわけで、私はもっぱら、ネットバンキングです。味を占めて、現在複
数の銀行とお取引。カード用、振込み用、へそくり用(オット〜…)… 

 銀行のカードも情報社会の中で進化をしてきたようで、一番最近、取引開始
した銀行のカードは、外国行ってもそのまま使って、その国のお金で引き出せ
るとか… 便利なもんですね〜 とはいっても、実は私、その銀行のカード、
窓口では一度も使ったことがなかったのです。

 さて先日、チョット必要があって、その銀行の支店のATMでカードを使っ
たのですが、「このカードは使えません」と、はねられてしまいました。どう
使えないの〜?? と聞こうにも、閉店後の金曜日のATMのこと、誰も対応
してくれません。銀行って、このごろイロイロあるからね、なにしろはじめて
だったので、カードが使えないのか、サーバーがおかしいのか、支店だからい
けないの… わからないしね〜

 そこで、週明けの月曜日、本店に行きました。事情を説明したところ、カー
ドを調べだしました。いわく「このカードは、使えます。磁気に異常はありま
せん」。
「でもね、使えません って、もどってきたの。パスワードが違ってるのかも
しれないから、調べて頂戴。今から数字を言うからね。それでよいか、見ても
らいたいの。」「それは、すぐには対応できません。」 どうやら、本人の確
認とかイロイロ、面倒らしい… そのうち上司が出てきて対応を始めた。なに
やら、データベースを操作してる様子。「じゃね、そこで、このカードが先週
の金曜日、どう使われたかわかるでしょ? 調べていただけます?」すると、
先週の金曜日、使われた形跡がないという。どうして? 「では、もう一度、
やってみてください。」確認のため、ATMの近くで世話をしている銀行員が、
立ち会うことになった。

 ATMの機械に、再度、カードを挿入しようとした。ホラ、カードの挿入口
に、絵がかいてあって、磁気のテープの向きがわかるように(入れ方間違えな
いように)してあるでしょ? あの絵と同じ向きに、入れようとしたのよね。
「アッ」小さな声を上げて、彼女がカードを取り出し、裏返して挿入した。「
チョット待って! どして?! だって、それじゃ、絵の向きと反対じゃなく
って?!」 すると彼女は「あら、ホント… 絵の向きが、逆ですね… これ
じゃ、お客様が、間違えてしまいますね。」…  アララ…。
結局、原因は、カードを入れる向きの問題だったようです。

だったら、メッセージで「カードの向きを確認してください」とか「磁気の部
分の汚れがないか、確認してください」と出すとかできるでしょ〜? 大体、
あの絵がいけないわ!と、友人に愚痴ったところ、その人は、カードの達人ら
しく、「それは、あなたが知らなさ過ぎるからだ。」と言われてしまった。い
まやカードには、磁気テープを数本装着して、入れる方向で、何のカードかが
違ってくるようなマルチタスクカード(?)まであるそうで、あの絵を頼って
いるほうが、時代遅れなのだそうです。「カードには、入れる方向の矢印が書
いてあるハズだよ。」と。私のカードを調べたら、小さな矢印が書いてある。
でも、シニヤアイが始まった私には、そんなの見えないもん!! だったらせ
めて「カードを入れる矢印の方向をお確かめください」ってメッセージぐらい
出してよね〜!!

 でもね、おかしいと思うわ。すくなくとも、ユニバーサルではないわね。な
んか、さもユニバーサルっぽく、社会は動き出しているように見えるけど、本
当にイロイロな相手の立場に立つ(視力、経験、体力、年代、男女、ハンディ
…)というのは、なかなか難しい。最初は、気づかず、見せ掛けのユニバール
になることもある。そこで大切になるのが情報ね。「ここが困った」「こうな
っているといい」といった情報に、常にアンテナ張って、その情報を有効に活
かして社会全体の知恵を豊かにしていくという、「社会としての情報活用能力」
の学習は、これからが勝負なのだわ! 
 あの銀行、今回の情報活用できるかな〜!





○9月になりましたね の(2002/09/03)第72号より
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【kazumi のワープ】
    〜日本の親子 in オーストラリア〜      小田和美
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 夏休み、終わりましたね。暑さはまだまだ残っていますが、2学期です。さ
あ、ガンバッ!

 さてこの夏休み、多くの家族が、家族旅行をしたことと思います。街中でも、
山でも海でも、海外でも、たくさんの親子連れを見かけました。そうそう、親
子といえば…

 前号で、日豪の遠隔共同学習のカリキュラム開発のプロジェクトが新しく始
まるという話をしましたね。その準備のために出かけたオーストラリアで、見
かけた親子の話です。休日の午後、私たちは(教材研究もかねて)「ドキドキ探
検旅行」なるツアーに参加しました。このツアー、オーストラリアの大自然の
中、大蟻塚、カンガルー、ワラビー、カモノハシ、オウムを見て、イロイロな
夜行性動物を探すという、文字どおり、ドキドキわくわくのスケジュール。イ
ロイロなツアーの中から選んで、プロジェクトのメンバー全員で、オーストラ
リアの学習をかねて参加したのです。(実際は、目玉のはずの動物は出現せず、
ちょっと期待はずれの感もありましたが。。。)



 夜になって、夜行性動物の生息地点に張ったテントの下で、バーベキューが
始まりました。テントの外は真っ暗。事前にガイドさんから、「食事が始まる
と、オポッサムが寄ってきますが、食べ物は与えないでください。フラッシュ
もたかないでください。仲間を引き連れ、何匹も押しかけてきて、テーブルの
上が荒らされてしまいます。食後、ゆっくり撮影する時間がありますから。」
と説明を受けていました。しかし〜〜

 本当に、やってきたのですよ。むくむくの毛皮をきたクリクリ目のオポッサ
ムが。見るからにカワイイ〜! 早速、小さな子どもたちがキャーキャーと喜
んで、抱こうとしたり餌を与え始めました。その様子を、父親が、フラッシュ
たいてデジカメ撮影。アララ… それじゃ、ペットでしょうが…。相手は、純
粋野生動物よ。凶暴かもしれないし、きれいとは限らない。それを触った手で
これから、パンを食べるわけ?  などと思いながら、呆れてみていたら、横
に座っていた三人組の女子大生が、怒り出した。「ダメって、いわれてたでしょ
。ホラ、たくさん集まってきたじゃない。いったい、親は何してンのさッ!」
う〜ん… その指摘は正しいけどね〜 でもそれじゃ、情報教育の目標【f:
発信・伝達】のLEVEL 3「伝えたいことを明確にして、相手にわかりやすく伝え
る」段階をクリアしてないわよね〜 

 そこで、彼女たちに「その指摘、正しいと思うわ!でも、その言い方では、
相手は対抗して意地になるだけ。目的はケンカじゃなくて、親子の愚行を止め
ることでしょ? だったら、もちょっと穏やかないい方にしたほうがいいと思
うよ!」というと、彼女たち、とても素直に、言いなおしました。ホ〜ッ、え
らいね! 【m:情報に対する態度】LEVEL 4「情報を批判的に活用できる」 
一気にクリアだわ!

 ところが困ったものです。言われたその親子、母親が不愉快そうに、「ホラ、
あんまりそっちに行かないの!こっちいらっしゃい!」と子どもを呼び寄せた
だけ。(それって、違うでしょうが〜) そして、意地になったのか、自分た
ちのベンチのそばっで、餌をあげ続けた。(モ〜 知らないッ!) 
 生の自然に接したことがないためかしらね〜 でもね、どこかのふれあい動
物園にいる感覚で、じぶんの子どもを、雑食の野生動物とじゃれ合わせている
親の感覚に、唖然…

 さて、食事も終わり、テントによってきたタクサンの夜行性動物にも飽きて
きたころ、二人にひとつ、懐中電灯が渡され、熱帯雨林探索が始まった。その
とき、「シーッ! シーッ!!」 と、ガイドが制止する。ナニ?? 何も聞こ
えないよ?? 「シーッ! 黙ってください。」… しばらくして、暗闇に向
かって、懐中電灯を降りながら、声をかけ始めた。「どこにいますか? どこ
からきました?」…「返事してください。大丈夫ですか! 一人ですか? 誰
かガイド、ついていますか?」すると、懐中電灯の光がぼんやりと見え始め、
子どもの泣いている声が聞こえる。この真っ暗な熱帯雨林の中での迷子らしい。
一同、シ〜ン。誰かが「すごい耳のいいガイドだな…!」
 しばらくして、ガイドが、日本女性と子どもを従えて戻ってきた。暗がりの
中で道に迷って、うろついていたらしい。え〜ッツ、見つからなかったら、ど
うなっていたわけ〜?! 

父親はどうしてるの? だって、その父親、自分の奥さんと子どもがいなくな
ってるのに、「出発します」と言われて、自分だけノコノコついてきてたって
ことでしょ?? それによ、真っ暗な熱帯雨林の中で、ツアーメンバーを、十
数分、待たせたのに、「スミマセン」の一言もないのよ。そういえば、ガイド
さんに、「ありがとうございました」も言っていなかったわ!!

 情けなくて、とっても暗い気持ちになりました。人間は、窮地になると、本
性が現れます。また、違う環境の中での非習慣性の反応から、その人本来の姿
が見えます。このツアーで見た日本の若い親子たちの姿は、彼らを育ててきた
これまでの私たち社会の教育の失敗を、マザマザと見せ付けてくれました。そ
ういえば、自分の子どもに注意や説得をしている親の姿を、今回は見ませんで
した。大人たちは談笑し、子どもたちはその周りで好きなことをしている… 
これが、日本の家庭の教育力の現状なのでしょうかね〜 こんなんで日本は、
生き残っていけるのだろうか… つくづく、考えてしまいましたよ。

 そうそうもうひとつ、オマケね!
 広場に出て、満点の空を眺めました。天の川がきれいにはっきり見えました。
久しぶりに見た天の川。南十字星も、見てきましたよ。でもね、子どもたちに
とっては、別にどうでもいいことのようで、持っている懐中電灯をつけて、お
ばけごっこしたり、空を照らしたり、大変でした。「明かり消してくださいね」
誰かが声をかけました。一瞬消えた明かりが、しばらくするとまたつきます。
誰も注意しないと、いくつもつき出します。また誰かが声をかけます。一瞬消
えます。同じことが何回か繰り返された後、母親が小さい声で言いました。「
ホラ、怒られるから、消しなさいってば!」 あらら。。。 違うでしょ、そ
れって!! 





○東京は秋になったようです の(2002/09/17)第73号より
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【kazumi のワープ】
    〜温泉考…キツネとサル…〜           小田和美
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 夏の終わりの週末、とある学会に参加するため、山口大学に伺いました。山
口大学の最寄り駅は、湯田温泉という駅です。温泉と大学?? イメージが結
びつかなかったのですが… 山口大学は確かに、1両編成の各駅停車のJRが
停まる小さな温泉の街の中にありました。宿泊したホテルの屋上には、展望温
泉露天風呂。いいですね〜・・・
 湯田温泉の街中には、いたるところに、美しい曲線でデザインされたキツネ
のオブジェが置かれていました。きれいなキツネね、何かしら… メイン通り
から入った路地には、足湯というベンチつきのコーナーがあって、そこでは道
行く人が自由に足を浸けて温泉を楽しんでしました。面白いわね〜 でも、ど
うして??

 ホテルの展望温泉露天風呂に浸かって、謎が解けました。その露天風呂にも
おかれていたきれいなキツネのよこに説明があったのです。それによると『昔、
足をケガした白キツネが、足を水に浸していた。それを見て不思議に思った和
尚さんがそこを掘ったところ、温泉が湧き出した。村の人がその温泉に浸かっ
たところ、諸病が治った。』ということ。なるほど、それでこの街には、キツ
ネがいっぱいおいてあるのね!

 温泉とキツネ… そういえば、温泉と動物がつながっている話は、全国にあ
るようですね。さすが、火山列島日本! 『日本中の、温泉と動物の話を集め
てみよ〜う!(君の街の温泉には、どんな話があるのかな??)』全国展開の
教材になりそうですね!! どなたか一緒に、教材化してみませんか〜〜??



 温泉と動物といえば、世界的に有名な動物が日本にいますね! そう、ニホ
ンザルです。年とったサルが赤い顔して気持ちよさそうに温泉浸かっている写
真、有名ですよね! 
 猿って確か水が嫌いなはず。去年の夏にロードショーされた、「新猿の惑星」
という映画、ご覧になった方はお判りね?! 後半、主人公が猿の奴隷になっ
ていた原人たちを連れて、高度文明を築いていた猿社会の、凶暴な権力者の手
から逃れるために、海に逃げ込みます。そのとき、彼らを助けるために協力し、
一緒に逃げてきたリベラルで行動的なメス猿が、海を怖がりパニックになりま
す。無理やり主人公が一緒に海に連れ出すわけですが、追いかけてきたサル軍
団は、海が怖くて、それ以上追いかけられません。そこで無事、逃げおおせる、
という話になっていましたね。「知らなかった〜 サルは、水を怖がる動物だ
ったんだ…」 あの映画の、メインテーマとはチョット外れた部分に、いたく
感心した私でした。

 有名なサルといえば、日本には他にも世界的に有名なサルがいますよ。海で
芋を洗って食べるサル。これは、芋投げして遊んでいた芋が、それて海に転が
っていったのを、拾いにいったコザルがいた。その芋を食べたところ美味だっ
たので、そのサル社会全体に広がっていった文化だとか… コザルの遊びから
偶然に見つかった知恵なのですね… 面白いことに、これらの行動はいずれも、
最初にし始めたのは、好奇心旺盛なコザルだったということです。フ〜ム… 
サルもヒトも、よく似てるわね〜 

 温泉に浸かるサル文化も、芋を海で洗うサル文化も、コザルの旺盛な好奇心
がなければ、生まれてくるまでにモットモット時間がかかった文化だったでしょ
うね。新しい知恵を生み出す力を持っている子どもたちのエネルギー… 大切
に、育みたいものです。

 私たち大人のメガネを無理やりかけさせることなく『子どもたちが自由にそ
の発想を広げ、行動(チャレンジ)していく過程を支援する教育活動』…  
それがもともとの、教育の持つ意味だったように思います。明治以来の歴史の
中で、徐々にそれを忘れ、知識・技術の伝達にシフトしてきた教育のもたらす
意味にようやく気づいた日本社会。今年から、新しい教育観のもとで「総合的
な学習の時間」を初めとする情報教育が導入されました。その教育がナニを育
もうとしているのか、まだまだ、全体に浸透していないようですが、私たち教
育関係者は、今だけではなく過去と未来を、自分たちだけではなく他の生き物
や自然を観察し、そこから学んでいく、グローバルな視点を持ちたいものです
ね。





○運動会の季節です の(2002/10/01)第74号より
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【kazumi のワープ】
    〜温泉考(2)…何が体にいいのかなぁ…〜   小田和美
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 この土・日は、東北に行きました。芭蕉が泊まったという宿を会場にして、
熱い研修会が開かれました。深夜、勉強会が終わって、行った場所が… そう、
やはり温泉なんですね〜〜
 熱過ぎず温すぎず、ちょうど頃よい湯舟につかり気がついたこと。日本国内、
イロイロな地方にお邪魔しますが、温泉って、多いのよね〜 どうしてかしら


 記憶をたどってみると、温泉に浸っている風景、日本以外ではあまり見かけ
たことないのよね。検索してみました。一応あったのですけれどね、違うな〜
 
 アメリカ大陸にはいくつかりました。イエローストーンのあたりとかにね。
でも、どうやら、日本人向け観光用とか、見るだけとかの施設が多くてね、「
昔から住民に親しまれてきた命の泉」的温泉では、ないようです。そういえば
「インディアンが温泉に浸かって温まってる…」姿、イメージし辛いわね〜 
その他の地域にも、チラホラ… でも、地元の村人に愛用されている温泉とい
うのは、殆どないようです。 
 火山帯から湧き出る泉が温泉だとすれば、火山帯のない国では、あまりお目
にかかかれそうにないし、赤道付近(熱帯、亜熱帯南部)では、温泉に浸る必
要も少ないし、アジアの遊牧の民では、村落の中の温泉文化は大きく育つこと
難しそうだし、砂漠地帯ではそもそも湧き出る泉がないわけだし… と考えて
いくと、日本では「あって当然」の温泉文化は、地球レベルで見れば、とても
貴重なものだったのだ… と思えてきます。

 さて、どこの温泉に行っても、温泉の成分が表示されていて、何によく効く
か(効能)とかも、書いてありますね。成分は、温泉によっていろいろあるよ
うですが、それって、その地域の鉱物の成分とも関係してるのでしょうね。で
もね、効能はよくよく見ると、どの地方も、似たような感じです。腰痛、リュ
ウマチ、婦人病、肩こり、腎臓病、他他… 子どもの頃は、温泉は、その成分
が体にいいのだろうと、漠然と思っていたのですけれどね… 最近、あること
に思いあたりました。
 もしかして、温泉が体にいいのは、ユックリ体を暖めて、湯冷めしないくら
い芯から暖めるので、結局、体の循環がよくなって、代謝があがって、その結
果、体の不調が治るのではないかしら… ということです。温泉で直る病気の
多くは、例えばマッサージとか指圧とかでも効果が出るものが多い。もしかし
たらその他の病気も、本当は、ユックリと心を広げ(免疫力を高め)、代謝を
よくしていけば、治るのかもしれない… 

 大人になると、生活病が多くなるのは、大人になればなるほど、生活が不健
康になる(ストレスが増える)のと同時に、体全体の代謝機能が衰えるからな
のでしょうね。生活にメリハリとリズムをつけて、代謝があがるように毎日お
風呂でよ〜く温まって、運動やサプリメントでメンテナンスを続けていけば、
もっと健康に長生きできるのかもしれません。う〜ん。。。 生活、考え直さ
なきゃ〜

 もしそうだったら未来的には、湯治というのは、家のお風呂でもできるので
はないかしら?? 仕事しないで、1週間、ユックリと壁の大型スクリーンに映
し出される美しい風景(??)を見ながら、入浴剤を入れたお風呂に浸ってい
れば、多くの生活病は、治ってしまうのではないかしら…?? そういう生き
方ができない現代社会は、まだまだ、貧しい社会なのかもしれませんね…





○教師もいろんなことに挑戦しなければ の(2002/10/15)第75号より
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【kazumi のワープ】〜ことば考…〜         小田和美
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 私たちは言葉を使って、自分の心や考えを伝えます。言葉を使って… とい
うと、なにか、自分の想いや思考が先にあって、言葉はそれを伝えるための手
段のように聞こえますが、実はそうではないということも、最近ではよく知ら
れるようになりました。言葉があるから、今の自分が出来上がってきた… そ
ういう意味です。
 人は、言葉を知らないと、考えることができません。人間らしい複雑な感情
を持つためには、言葉が不可欠であることもわかってきました。小さい頃から
の言葉かけ、豊かな言語体系を自分の内側に持つこと、正確な表現、そういっ
たことが、実は単に論理的思考だけではなく、人間一人一人の感性や価値観に
まで、大きく影響する大切なことであることも、わかってきています。

「意見」という言葉あります。意見を言う、意見を聞く... 友だちのプレゼン
テーションに対して、問題解決的な意見(もっとこうするといい、こういうこ
とも調べてほしい等々)を言えるかどうかということは、学習を評価するとき
の大切な観点でもあります。この「意見」という言葉、別の使われ方もします。
意見をする、ご意見番… この日本語の「意見」を、英語辞書で引くと、面白
いことがわかります。
《考え》 an opinion; an idea; a view; 《忠告》 advice; 《いさ
め》 admonition; 《小言》 reproof
日本語の「意見」の後ろには、《考え》から《小言》にいたる、幅広い(とい
うか…)の意味があるということが、英語と照らし合わせるとよく見えてきま
す。客観的から主観的、建設的から攻撃的、何しろ、相手と違う内容を述べる
場合は、意見なようです。それって、異見 と同じ?? 「一人の人が別の人
の前に立ってなにかを喋っている」という形(風景)は似ていますが、喋ってい
る内容や(互いにとっての)意味は、相当違っています。

 似た言葉に「討論」という言葉があります。日本語の「討論」を辞書で検索
すると、debate;discussion という、2つの英語が出てきます。でもこれっ
て、「何人かの人たちが互いに喋りあっている」という風景は似ていますが、
喋っている内容や(互いにとっての)意味は、相当違っています。debate は、
違う見解を戦わせ、どちらがより優位性を持っているかを確認するための行動
です。discussion は、互いに違う意見を述べ合いながら、検討し、一致点を
探す・より納得いく結論を見出していこうとする行動という意味を持っていま
す。

ふ〜む…
考えさせられる現実です。表からみた姿(風景)をもとに「意見」「討論」とい
う言葉が生まれてきたのでしょうか? だったらどうして、内容やその行動の
意味から、言葉が生まれてこなかったのでしょうか?? それとも、言葉が生
まれた頃は、風景もその意味も、ひとつだったのでしょうか?? かつては、
日本人は、相手のために前向きに意見を述べ、前向きにひとつの結論を一緒に
探すために討論してきたのでしょうか?? それとも、自分の主張のために意
見を述べ、自分の意見を通すために討論をしてきたのでしょうか?? 

 いま、学校では、意見を述べ合ったり討論したりする場面が、とても多くな
ってきています。でもともすると、子どもたちの行動が、他人の批判で終わっ
たり、自分の主張をするだけで終わってしまうのは、その言葉が持っている力
かもしれません。本来は、「相手のため」「互いのため」「共生に向けて」の
意見・討論 という意味を持っていても、現実の大人や社会の行動が「批判」
や「自己主張」に偏っていると、言葉の持つ意味が偏り、行動もその方向にな
って行きます。教育活動の中で「意見」や「討論」の場を仕掛ける立場の教員
として、もう一度、言葉の意味を振り返り、どの意味を持たせるのかというハ
ッキリしたメッセージを子どもたちに送りたいものだと思います。

 もしかしたら、普段、何気なく使っている言葉の多くの裏側に、このような
問題が潜んでいるのではないかしら… そんな気がします。何気ない言葉かけ
の積み重ねが、子どもたちの心や価値観をを形成していくのだということ、少
し意識して、自分の言葉を見直してみてはいかがでしょうか??





○突然 冬のような気候になりましたね の(2002/10/29)第76号より
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【kazumi のワープ】〜ホーム〜          小田和美
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 コンピュータって、ホームと縁がありますね。ホームページ、ホームポジショ
ン。キーボードにも、homeキーって、ありますよね。あれ、押してみてくださ
い。何がおきるか… そう、ホームに飛んでいきますね〜!

 さて、ホームって、なんでしょう?? 家! そう訳す人もいるでしょうけ
どね… チョット、違うような気がするのね。「家」は、house でしょ?? 
家族は family … で、もうひとつ、home があるのね、英語には… 

 Home のつく言葉、他にもあります。Home Base、Homestretch、Hometown、
Homespun、Hpmeless… これらの言葉に共通しているイメージがあるように思
うのです。そこから派生して、「家」という意味も生まれる… 
そして、このイメージに対応する日本語は、見当たらないのです。
 どうやら、英語のHome には、「そこから出発し、いずれそこに戻ってくる場
所」という意味があるようです。そういえば、女子大生の娘たちにキーボード
の基本を教えるとき、「だから、ホームポジションに指を置いて、キーを打つ
ときはそこから指を伸ばして、打ち終わったら、またその位置に指を戻してね
!」と話します。ついでに、年頃の彼女たちに、ホーム談義をします。(この
世代、結婚願望が強いらしく、将来の夢・希望に、「ステキな家庭を持つこと」
なんて平気で応える子が、意外と多いんですよね〜) 

『好きな人ができたと思って、一緒になるでしょ? 結婚して、一緒に暮らし
始める。貸家でも持ち家でも、家はできるわね。自分たちの住む家。家族も、
いずれできる。もし子どもが生まれなくても、彼と二人の家族。Hause や Fa
mily は、結婚すればある程度自然に、できてきて、誰でも持てるものなのね。

 でもね、Home をもてるかどうかは、自分(自分たち)しだいね。ホラ、「家
に帰ると、女房・子どもがうるさいから…」とか言って、夜の街で飲み歩く男
性とか、「家に帰って、奥さんと顔あわせるの気が重いから…」と、なかなか
家に帰らない男性とか、日本的イメージがあるでしょ… こういうホームレス
な人って、意外といるのよね。女性の方だって、そうでしょ? 「亭主、元気
で留守がいい」とかね… 寂しい関係よね〜…

 日本は、「対等な存在の男女が、互いを認め支えあって、人生をともに歩い
ていくために結婚する」という文化を持ってこなかった国なのね。それがいま
も、心の意識の底に残っている部分がある。昔は、社会的な家を切り盛りする
奥さんと、自分のプライベートな時間をともにするオメカケさんといて、何人
もの女性に家を持たせることができる男性は「甲斐性がある」と言われたのね。
「甲斐性のない」男性もいい思いができるように、妻妾同居法(通称です)な
んてとんでもない法律まであったわ!。

 でも、こういう心理って、日本だけではないわね。よくよく歴史や文化を見
ると、互いを同胞として認め求め合う男女関係って、新しいのね。「動物」で
あった人類が人間らしくなってきて、もっと「人」として心を追い求めていく
うちに気付き始めた、進化形の関係ね。みんな焦らず、「互いのホームになり
たい!」と、思える人と巡り合えこと信じて、じっくり人生にチャレンジして
ね! 「互いの存在が、互いにとってのホームとなるような男女関係」を築い
ていくのは簡単な仕事ではないけれど、そういう関係でいたいと思える人と出
会えて、いつまでもそういう関係を続けていけたら、ステキよね!』

 この話、女子大生にはわかり易いらしく、ついでにホームポジションも浸透
して、その後の練習もはかどります。自分自身の男女関係に思い当たるところ
がある子は、真剣な眼差しになります。うちの研究室、相談事が多いのは、授
業中にそういう話が出たりするからかもしれません。この話をきっかけに、簡
単にクッツイタリはなれたりしないで、自分を大切にした人間関係を見つけて
くれたらいいな〜 と思います。

 次の世代を教育するという職にある、私たちです。人と人とのつながり、共
生、男女、人生… これからの学習には、そのようなテーマが含まれてきます。
そのとき、たとえ言葉で教え込まなくても、指導に当たる私たちのありようが、
子どもたちの心に伝わります。学校の先生も、自分の生の有り様を通して、多
感で可能性を秘めた彼らに納得できる形で、人生を考える姿を示してほしいも
のですね。 





○風邪に気をつけましょう の(2002/11/12)第77号より
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【kazumi】のワープ
        〜「守・破・離」〜          小田和美
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 この日曜日、上野の森美術館で開催されている「ピカソ」展(www.picasso.
jp)に行きました。ホームページにも出ている1枚の絵を見たかったのです。東
京地区では、電車のつり広告にもでている「えっ、これもピカソ?!」「はい。
14歳の時の作品です」という絵「初聖体拝領」です。
 この展覧会は、バルセロナ・ピカソ美術館の協力のもと、8歳から22歳までの
ピカソの作品を集めたもので、よく知られている前衛的なピカソの作品は展示
されていませんでした。小さい頃のデッサンや、スケッチ、ひとつの作品を仕
上げるための習作などが展示の主なもので、チョット、予想が違いました。で
も私にとっては、とても大切なことが再確認された時間でした。

 9歳の頃描いた「ヘラクレス」というデッサンがあります。バランスも悪いし、
腕が首から出ているような作品です。でも、丁寧に描かれている。9歳の少年が、
対象を小さいなりに観察して描いている様子がわかります。切り抜きもありま
す。細かい線まで意識して、ハサミを使っています。多分、毎日、幼いピカソ
は描き続けたのでしょう。画家だった父親は、彼のために画材を惜しみなく用
意したと説明がありました。
 10歳の頃描いたデッサンもありました。まだ、硬い絵です。これくらいなら、
描ける子は今でもたくさんいるだろうな… そんな感じ。ピカソの父は彼の才
能に気づき、手ほどきを始めたそうです。ピカソは、メキメキと腕をあげます。
13歳(今の中学生ぐらいですね)の頃のデッサンは、なかなかのものです。で
もね、デッサンだけ見てると、特別に天才 かどうかは、わからない… わか
るのは、対象をものすごくキチンと見ているということ。その頃のピカソは、
正統派古典芸術の優等生という作品を残しています。そして、14歳のときに「
初聖体拝領」を描きます。大人の背丈よりも大きなキャンバスに描いた油絵。
でも、どこを見ても、殆ど完璧な筆。レースの風合い、シルクの織物の材質感、
ビロードやゴースの存在感… 「えっ、これもピカソ?!」「はい。14歳の時
の作品です」『エッ、エ〜… 14才ですって〜!?!』という作品。その完
璧な技術に、完全に脱帽… 凄い。。。

 その後彼は、専門のアカデミーに送られます。そこで、異変がおきます。彼
はアカデミーには通わず、友人に、そこでの教育を批判するような手紙までだ
し、自分で、自分の思うままのデッサンを始めます。親や家族の期待は裏切ら
れたと、説明がありました。そのあとのデッサンは、デッサンとしては乱雑で、
ラフスケッチのような感じですが、自分の表現したい構図やイメージを何度も
描きなおしています。残されている多くの自画像は、不安そうな顔、自信に満
ちた顔、イロイロな表情を見せています。そのような青春を通りぬけ、やがて、
よく知られている天才ピカソが生まれていったのでしょう。

 う〜ん… もし彼が、そのまま素直にアカデミーに通い、その教育を受けて
いたら、どうなっただろうか…? 彼が、自分の道を探し出したことが、どう
して、親の期待を裏切ることにつながるのだろうか…? これって、多くの日
本の親や教師の感じ方とよく似てるね… 

 小学校のころ、担任の先生から聞いた話を思い出します。「守・破・離」と
いう話です。先生はまだ、小学生だった私たちに、こう話されました。「これ
は、人間の成長のことです。人間はある時期、ひたすら言われたことを守り学
ぶ時期があります。そのときは、少々の疑問や不満は我慢して、多くを学ぶこ
とが大切です。「守」の時代です。しかし時期が来ると、これまで従ってきた
ものを否定し壊す時が来ます。何でもかんでも、反対し、その逆をしてみます。
親や先生や社会に言われてきたことに、疑問を抱き、反発するのもこの時期で
す。これが「破」の時代です。まだ、一人前ではありません。そしてやがて「
離」を迎えます。何かに反対したり何かに従ったりするのではなく、自分自身
を見つけ、束縛から離れ自立するのです。」そういうような話でした。中国に
古くから言われてきた知恵のようなものだったと思いますが、どういうわけか、
心に残り、ここ数年、よく思い出します。この話が、ピカソが中学生のころ親
の束縛に反対し自分なりのデッサンを始め、その結果、自分の画風を見出して
いった話とも重なってきます。

 人は、10歳前後に母国語の言語体系を獲得し、それ以降、自分の思考を始
めるといわれています。それ以前は、ひたすら自分の中に、情報を取り込む時
代(守)です。中学生ぐらいになると、自分の言葉で思考を始め、これまで自
分の中にあったものを自分なりにチェックし始めます。多くの場合、それは「
いったん疑問を持つ」という形で行われるわけですが、大人から見ると「反抗」
と映ります。「反抗期」といわれますが、これは、大人の価値観中心の見方な
のでしょうね。とことんチェックし、納得するもの・しないものを認識し、我
慢すること・我慢できないことを知り、自分のとるべき行動を見つけ出し(青
春時代)、やがて、自分の人生を歩き始める(離)のですね。

 子どもが、これまでの自分を取り巻く社会に批判や疑問の目を持ち出すとい
うことは、成長の現れであり、大事な過渡期なのだと思います。でも私たち大
人社会はその成長を、規則やルールで、押さえつけようとしてきたのではない
でしょうか? とことん感じるままに疑問を抱き、思うとおりに行動すること
は、人間のより大きな成長のためには、避けて通れない道なのだと思います。
でも、その成長の過程を喜んで受け止め、その先の自立を支援できる大人は、
これまでも今でも、とても少ないのですね。残念なことです。

 私たち、教員は、子どもの成長や学習を支援するプロのはずです。人間の本
来の成長への認識を新たにし、子供の成長を大人の期待する姿にあてはめるこ
となく、大きな流れの中で受け止められる教員になりたいものだと思います。
形を整えることよりも、中身を充実させることが大切です。中身がしっかり整
ってくれば、形はおのずと、収まるところに収まります。中身を充実させるに
は、子どもたち一人一人が、じっくり納得いくまで感じ考える時間を与えるこ
とです。





○信州はもう雪です の(2002/11/26)第78号より
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【kazumi のワープ】
    〜とある、イベントのお話…〜          小田和美
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 先週の日曜日、都内の新宿のど真ん中で、大きなイベントがありました。体
育館を中心とした広い4つの会場に、50以上のブースが並び、各ブース、カタロ
グや案内用パンフレットを多数用意してありました。会場の入り口に入る前か
ら各ブースの関係者が思い思いの呼び込み戦略をたて、お客さんを集めるのに
懸命でした。お客さんは、中学3年生とその保護者です。では、ブースの開設者
は誰でしょう…??
 は〜い。正解は、都立高校です!

 都立高校の歴史始まって以来のことでしょう。すべての都立高校が一同に会
し、学校説明会を開いたのです。これはイロイロな意味で、チョット、たいし
たものです。背景は複雑です。少子化、都立離れ、それに加え、来年度からは
すんでいる地域にかかわらず、都内のどの高校でも入学を希望できるようにな
りました。
 さらに、新しい学習指導要領が始まります。各学校、特色ある学校作りを目
指すと同時に、それを外に向かって、アピールしていることが要求されます。
単位制の高校校や、魅力的な名前をつけた高校への入学希望者の集中が、すで
に起きてきています。学校間競争の中で、生徒が集まらない高校は、消滅して
いきます。そのような流れの中で、学校自体の姿勢や教育方針が問われていま
す。都立高校も、宣伝の時代に入ったわけですね。学校が変わらざるを得ない
時代なんだな〜〜 

呼込み「○○高校ですが、どうですか?話を聞いて行きませんか?」
子ども「チョット、遠いので…」
呼込み「うちはどこかな?」
子ども「△△区ですが…」
呼込み「そうか、あそこからなら、□□線を使って、60分チョットだよ。
    意外と近いんだ! どお、話を聞いていかない?」
アハハ… 教員って、役者だからね〜! その気になれば、うまいものです。



 宣伝は、一時的には効果がありますが、継続的な効果を生み出すのは、その
実態です。子どもや親は、その実態を探るために、説明会の会場に集まってき
ます。子どもは原則、遠慮がありません。入試に関して、次第に真剣になって
いる時期でもあります。ズバッと、核心的な質問の飛び出します。ブースの先
生方も、誠実に、子どもの疑問や質問に応えようとしてらっしゃる印象が、好
感持てました。きっと、その日の説明会に向けて、学内でもいくつかの懸案に
対し、学校側としての方針が確認されたことでしょう。それだけでも意味ある
ことですが、その効果の波及はそれにとどまらないでしょう。。。

 制服着用への考え方、指導方針は、必ず学校側から説明がありました。
ア)うちは、頭ごなしに、制服着用を強要したり、茶髪を禁止したりしないで、
指導を繰り返す方針です。
イ)うちは原則自由な校風ですが、ルールとして制服はきちんと着用させます。
ウ)うちは、基準服を持っていますが、着用は個人の自由です。

イロイロな方針がありました。面白いことに、その説明をされるときの教員の
語調で、日常の生活指導の雰囲気が伝わってきました。教育方針に話が向くと、
学校側にも力が入ります。本当に、子ども一人一人の話を聞いている学校。表
面的には穏やかでも、締め付け型の学校。それぞれの学校の実態が、浮かび上
がってきました。

 入試の点数配分についても説明がありました。どの高校も、自己推薦書の提
出を決めていました。多くの先生方は、それによって得点差をつけることは難
しいだろうと考えておられるようでした。実際は、どういう評価基準で、どの
ように扱われることになるのでしょうね?
 実はこの自己推薦書。多くの大学の入試でも採用しています。面白いことに、
読み比べていくと、文章のウマイヘタを超えた、自己のアピールが見えてきま
す。実際に自分が行ったことや感じたことは、つたない文章からでも伝わって
きます。さらに面接で、その自己推薦書の内容に絡めて質問をしていくと、そ
の子の生活への姿勢やものの捉え方考え方が、見えてきます。蓄えた知識や技
術は、面接ではナカナカわかりませんが、潜在的な可能性に通じる、子ども自
身の形成途中の今の姿が見えてきます。面接用の質疑応答の訓練を受けていて
も、10〜15分の面接をしていくと、ごまかしが効かなくなります。

 自由な校風、新しい設備で地域では知られているある高校がありました。で
も、うちの娘たちはあまり行きたがらない。「どうして?」と聞くと、「イジ
メがすごいんだって…」ということでした。親としては初耳の情報です。学校
側がどう捉らえているのか、興味がありました。そのブースでの話です。対応
された先生が実に誠実に応対をされ、子どもも好感を抱いたのでしょうか。思
い切った質問が出ました。

子ども「イジメは、どれくらいありますか?」
教 員「・・・もちろん、完全に情報をつかんでいるとはいえないかもしれな
    いけれど、表立って、すごいイジメはないと思うよ。少なくとも、
    僕は聞いていないし、
    多くの子どもが、楽しく通学しているよ」
子ども「イジメがすごいって、聞いたんですけど…」
教 員「(一瞬、間。。。)ホント?? エッ 驚いた。そうかな〜?? 
    学校へ戻ったら、
    僕も調べてみるね。そお、そういう話が出ているの。。。」

チョット、ショックだったようです。
教員「君の中学、○○中学だよね。うん… どういうわけか、近くの他の中学
からはたくさん入学してくるのに、きみの中学からは、入学してくる子、少な
かったんだよね〜 そうか〜 そういう話が出てるのか… もちろん、荒れて
る学年があったりするし、過去にイジメがまったくなかったとは言い切れない
けどね、でも先生たちはみんなの話をよく聞いて、イジメを見逃したるするつ
もりはないよ。うん、学校に戻ったら、聞いてみるね。」

 一度流れたうわさは、本当でも嘘でもギリギリでも、なかなか消すことは難
しい。学校側はそれで、入学希望者を減らすし、子どもたちは、自分にあった
学校の選択の幅を狭めてしまう。しかし、事実を確かめる機会はなかなかない。
この都立高校の説明会では、そういった情報が交換されていく中で、学校側も、
子どもの側も、より正しい情報を自分で確かめながら、自分の行く先を自分の
意思で決定していくというチャンスを、大きく広げたと思います。

いや〜、目的を持ったもの同士の、真剣なコミュニケーションって、とっても
大事ですね。
 場をまず作ること。これ、教育する側の大事な仕事ね。そして、そういった
場で、自分を表現していく練習。とても大切な学習ね。相手に伝わる形で、自
分を表現する能力。
これ、情報教育の狙いだものね〜!!!





○東京は雪で大混乱 の(2002/12/10)第79号より
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【kazumi】のワープ
   〜大人も子どもも、一人で歩けなければ…〜    小田和美
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 道を歩くとき、小さな子どもに「周りや前を、よく見なさいね」って、声を
かけますよね。下を見たりよそみしたりしてると、展望が利かずに、危険です。
周囲や前を見ることによって、これから起きることを予測しながら行動するこ
とができます。何回か、歩いたことがある道は、さほどキョロキョロしたり遠
くを見据える必要はありませんが、初めての道では、なおさらよく見ることが
大切です。
 これは、一般道路を歩く時だけの話ではありません。自転車で通るときは、
スピードがある分、余計に注意力が必要です。特に、前方を見て、危険の予測
をしながら行動することが要求されます。車なら、もっと先を見て、すばやく
的確な判断をしながら動かなくてはなりません。高速道路では、周囲の動きも
早くなります。的確な情報収集、判断、予知・予測能力などが、必要です。

 人間は、幼稚園に通う頃から、徐々に親の介護を離れ、ひとりで行動するこ
とを学んでいきます。保護者にとって必要なことは、道を歩き出した子どもの
手をひいたり、子どもの代わりに道を選択することではなく、少し離れて後を
つけながら、子どもが最後まで一人で目的地にいけるよう、見守ることです。
もちろん、いざと言う時には飛び出せる準備や、目的を果たして(あるいは果
たせずに)帰ってきた子どもに、自信を与えたり、それとなく知恵を授けたり
する大事な役割もあります。

 そしてこれは、その子の成長における、親や教員の役割と同じです(同じは
ずでした・・・)。

 しかし、最近、チョット異変が起こっているように感じます。人生の一人歩
きができない学生さんが増えてきたように感じるのです。というより、人生は
誰かに手を引かれて送ることが前提になっている学生さんが多くなってきてい
るみたい・・・ 
 周囲や先を見ながら自分の足で前に進むことが、できない。前を見ると、足
がすくみ、座り込む、逃げ出す。前を見るとパニックになるので、前を見ない。
周囲も見ない。ドタンバになって「@@だったので・・・」「@@が壊れてし
まって・・・」「体が@@だったので・・・」「@@と思っていたので・・・」
と、言い訳を始める。
 あるいは、目先だけをみて、一番楽にできそうなことに時間を使う。「@@
をしていましたので・・・」を理由に、自分にとっていま一番大事なことと取
りくむことから逃げる・・・

 卒業を控えた大学生でも、同様です。卒業単位の取得、卒業研究(あるいは卒
業論文)、就職活動・・・ どれもこれも、これから社会にひとり立ちしてい
くために通らなくてはならない関門です。うまく行く行かないも当然問題にさ
れますが、うまくいきそうもないからといって、取り組むことから逃げていて
は、先に進めません。そこを通過するためにスッタモンダしながらも、何とか
自力でくぐりぬけることが、その人を大きく成長させていきます。
 でも、最近、逃げ出す学生さんが増えてきています。アレコレと理由をつけ
て、行動しない、出てこない、書かない、考えない・・・ そして、なんとか、
指導する側が手を差し伸べるのを待っている。

 どうしてだろう… と考えます。よくよく付き合っていくうち、多くの場合
その学生さんが育ってきた環境(親子の関係、教師との関係、他の指導者との関
係)が、色濃く影響していることが見えてきます。その子の将来的な自立を願
い、いい意味で手出し・口出しをせず放り出す(自分でやらせる)ことができ
る大人が、驚くほど少ないのだということなんです。

 子どもの行動や思考は、知恵や分別のついた大人から見れば、頼りないし危
なっかしい。そこで大人が注意や知識を与えれば、そのときはとりあえず、そ
れなりの結果が出てくる。でもそれって、目先だけ見て、厄介ごとから逃げて
いることと同じですよ、大人の側がね。

 昔は、大人の側にもやるべきことがいっぱいあって、そんなにいつも、子ど
もたちを見てるわけには行かなかった。文明の進歩によって、人間は多くの厄
介な仕事から解放され、時間を持つようになった。家でも学校でも、子どもた
ちは見張られ、多くの冒険は大事(オオゴト)になる前に止められ、秘密の空
間がなくなってきた。勉強にしても生活にしても、自分なりに行動してみる前
に、すべき行動が示されてしまうことが増えてしまった。時間をもてあまして
いる大人は、その子の将来の成長を目論むほどの余裕がなく、目先の問題解決
のため、あるいは自分の意向に沿った形で、子どもの行動を規制する。

 先を見ることができない大人社会が、先を見て行動することのできない子ど
もを作り出している。

 卒業を前に、学生も悩んでいます。自立していない自分を自覚できた学生は、
まだ幸せです。若いうちなら、自分探しの時間はマダマダある。本人が必死に
なれれば、学生の時代にすべきことは、これからの社会でしなくてはならない
仕事と比べれば、楽なものです。
 自分が見えない学生は、ドタンバになって行き場を失います。だからといっ
て、自分の第一歩は、自分で踏み出すしかありません。「卒業する、しないは、
あなたの自由です。もう一年、お付き合いしますよ!」それが、冗談でないこ
とを知って、やっと、動き出します。

 自分で感じ、自分で考え、自分で判断し、自分で行動する。これは、情報教
育が目指している子どもの姿でもありますが、これがなかなか、実践に結びつ
かないのも、現状です。
 気づくのが遅かった・・・ とならないといいのですが。。。





○今夜は クリスマス イブです の(2002/12/24)第80号より
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【kazumi のワープ】
   〜今年 最後の いきどおり〜           小田和美
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 アメリカという国は、事実を追い求めることに手を抜かない国です。戦争、
歴史、大統領、政治・・・ 公にかかわる情報は、50年(でしたっけ?)たて
ば丸秘文書も公開されますし、その前から真実を追い求め、多くの報道が公開
され人々のチェックを受けています。その中のひとつに、「アポロは本当に宇
宙に行ったのか?」という話題があり、そのうちのいくつかは、日本でも話題
になっていました。散発的に「風もないのになぜ星条旗ははためいているのか
?」とか「どうして影の方向がおかしいのか?」とかね。それの回答も、チラ
ホラ聞こえてはきますが、何せ異国での出来事。事実のほどは定かではないが、
知りたい・・・ この秋、本屋である本が山積みにされているのを見つけまし
た。この特番を扱ったテレビ局の○○新聞社が出版していて、エム・ハーガと
いう人が著者で、芳賀 正光 訳 となっています。タイトルは「アポロって、
ほんとうに月に行ったの? Did The Appollo Really Go To The Moon」。帯に
は「日本人だけが知らなかった歴史的偉業の隠された”真実”!」と書かれて
います。目次を見ると、「空気がないのに星条旗がなびいている?」「カメラ
の十次マークが隠れている?」「…」。前から興味があったし、きっとこれを
主張している人が、調査やデータに基づいていろいろ書いているのだろう。こ
れは面白そうだと、購入したのですが…

 これがまるで、期待はずれ。内容はというと、既に言われているアポロに対
する疑問を、うわさばなしとして、並べただけで、それに対する真実はひとつ
も書かれていない、全然関係ない話まで書いてあるのです。表題で問題提起に
対しておきながら、内容は緻密性もない論拠もない噂話のみ。学生の提出物な
ら、再提出ものの出来。本をたくさん買っていると、たまにはこんな本にぶち
当たることもありますが、一応、名の通った出版社だしね…。「ひどい本にぶ
ち当たってしまったな〜 ○○新聞社も、自社の名前をつけての出版なら、少
しは中身に責任持ちなさいよね〜!」などと思っていたのですが、最後の訳者
あとがきを見て、唖然。いわく「実は、作者のエム・ハーガというのは、私(
訳者自身)です。」しばし、ボ〜ゼン。だって、このような本を、ドウドウと
悪びれることなく、○○新聞社という社会的信用を持つはずの会社がだしてい
るのですから… 

 もちろん、情報の真偽をチェックするのは、最終的には、個人の責任だと思
います。しかし、そこには、社会の中での信用をバックにしたルールがありま
す。まず、自分の身分を詐称することは、ルール違反です。著者の略歴のとこ
ろまで、そのルール違反を通そうとするようなアレンジをしていては、本文の
あとがきで「実は作者は・・・」と書いていたとしても、意図的な犯罪行為だ
と思います。そして、「それを、ジョークとして受け止めなさい」という著者
の感覚はすでに、傲慢な自己陶酔です。さらに悪いことに、中身もひとりよが
りで客観性がなく、アジテーションを書き並べているだけで面白くない。その
ような内容を、一流のはずの○○新聞社 が、社名をつけて出版している。ど
ういうつもりなのだろう・・・??

 千円強の損失でした。しかし、ゆるせない話です。社会の中のルールや信頼
性を自分から壊す行動を取りながら、それを正当化しようとする態度は、情報
社会の責任ある一員とは程遠いものです。互いの主張を受け止めながらも、共
生していく道をともにさぐることを前提に、この世の多様性は存在します。し
かし、多様性を背景に持たない社会は、すぐ崩壊します。ですから、互いに干
渉しない個人の世界でのオリジナリティが、なおさら重要なのです。情報社会
における「責任とモラル」「個人の尊重」「情報公開」とは、どれもが情報社
会の存続を左右する、重要な要素なのですよ。

 いまでもよく「でも結局、コンピュータを使いこなせるようになることが目
的ですよね」とか「コンピュータ使いこなせなくたって、優秀な教員にはなれ
る!」とか聞きます。情報教育とは、「情報社会の中での人のあるべき姿を、
自分のこととして考え行動できる子どもを育成していくことだ」と、言ってし
まってはいけないのかしらね〜〜!! マッタク!!