目次

第21号: 〜フォスタープラン〜 (2000/10/03)
第22号: 〜素直な発言〜 (2000/10/17)
第23号: 〜地域社会の学校教育現場への参画〜 (2000/10/31)
第24号: 〜地域の人が授業へ参加することの意味〜 (2000/11/14
第25号: 〜私達、間違っていないかしら…〜 (2000/11/28)
第26号: 訳あって、番号とばし(メルマガ欠号)
第27号: 〜グチ(愚痴)からの旅立ち〜 (2000/12/12)
第28号: (20世紀末特集号)■してき(詩的、私的、指摘…)な話 (2000/12/26)
第29号: 〜東京と空〜 (2000/01/09)
第30号: 〜1年たって… ちょっとの変化…〜 (2001/01/23)

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○2000/10/03 第21号より
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【kazumiのワープ】〜フォスタープラン〜    小田和美
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 実は私、4年ぐらい前に子どもがもうひとりできました。子どもといっても、
私の産んだ子ではありません。法的に、養子縁組をしているのでもありません。
フォスタープランというプロジェクトで紹介され、私のフォスターチャイルド
として、主に手紙を通じて連絡を取り合う子どもです。彼の住んでいるところ
は、モンゴルのとてつもなく辺鄙な山奥で、1万円あれば、1年間暮らしてい
ける地域だそうです。

 説明会で聞いたフォスタープランの活動のポリシーは、次のようなことでした。
 
1)NGOの開発途上国へのボランティアも、かつては、「慈善活動」が主体だっ
た時期がある。しかしそれでは、途上国の人たちの自立が芽生えない。かえっ
て依存がうまれ、「豊かな国が面倒を見るのは当然」という意識さえ生まれる。
逆に援助する側には、優越感が芽生える。今は、支援する側もされる側も、共
に学び合うということを意識して活動をしている。

2)私たちは、他のボランティアが活動を躊躇するくらいの地域を選ぶ。現地
入りすると、そこの村の人たちに、「いづれ私たちは、出ていきます。それま
で皆さんの、自立のお手伝いをさせていただきます。」と伝える。そして、

 a.世界中のフォスターペアレンツが、資金援助をすること
 b.それを使って自分たちの自立のために何をするかは、自分たちで考えて
   決めること
 c.廻りの地域の様子、衛生、教育、産業、医療、出産等々の知識や技術の
   情報は提供することを伝え、勉強会を開く

3)その勉強会を通じ、村の人たち自身が、自分たちや子どものために、今ま
ず何が必用かを考え、決断し、フォスターのスタッフの援助も受けながら、自
分たちの村づくりを始める。その様子は、現地からのチャイルドあるいは現地
スタッフ(勉強会を通じ、地域のリーダーが生まれていきます)からのレポー
トで、世界中のペアレンツに伝えられる。

4)手紙以外、ペアレンツは一切の物品のプレゼントを禁止されている。手紙
の中に入れるものも、金銭的に高価なものは禁止。理由は次のようなこと。
「好意と思ってやる行為が好意にならない結果を、私たちはあまりにたくさん
見てきました。そこで今は禁止しています。村全体のプロジェクトとして進行
しているとき、特定の人への高価な(送る側にとってはさほどでなくても)プ
レゼントが、現地の人たちのコミュニティを壊しかねません。ネタミ、羨望が、
仲間はずれを生み出すことがたびたびです。互いの信頼関係を失うと、コミュ
ニティは簡単に崩れていきます。見守るということが、最高の好意です。また、
現地には、郵便システムがありません。すべて、我々が他の資材と一緒に担い
で持っていきます。欲しいのは、皆さんの心であって、プレゼントではありま
せん。彼らに必用なものは、彼らの意志で、皆さんの資金を使って、購入しま
す。」

 はじめて、参加しようとした人や単に寄付をすればいいと思っていた人たち
の多くは、この言葉の意味や活動の深さに衝撃を受けます。長い歴史の中で、
深い学習を重ねて得た、今の姿がここにあるのですね。
 フォスターの、常に自分を自省し自問自答している姿にも、勇気付けられま
した。自分たちの行動が彼らのプライドを傷つけていないか、自分たちの力が
彼らの正直な発言を阻止していないか… 教育者にとっても、大切なことですね。
 相手のために行動するということは、難しいことです。相手の成長をサポー
トするには、サポートする側にも辛抱強く待つ時間が必要です。でも、その熟
成が本当の自立を生み出すのだということを、フォスタープランは歴史を通じ
て学んできたのでしょう。

 子どもからの生活の様子を伝える手紙の往復に、豊かな物質に囲まれて暮ら
す私は、物質のない生活を肌で感じ、驚くことばかりです。またそれは今の自
分を振り返る大事なキッカケです。逆に、彼は私の手紙から、何を感じ学んで
いくのでしょうか。中国の息子が、もっと成長し、自分のことを言葉で表現で
きるようになったら、聞いてみたいことの1つです。





○2000/10/17 第22号より
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【kazumi のワープ】〜素直な発言〜    小田和美
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 子どもの素直な発言の裏には、ハッとする指摘が含まれていることがよくあります。
ここ最近、耳にしたことからいくつか…

 夏休み明けの始業式の日の朝。 「あ〜あ、やだな〜 また、校長先生の長〜い話を、
立ったままで聞くのか〜」 
「おや、どうして? そんなに疲れちゃうの?」 
「いや、立ってるのはいいんだけど… 話がつまんなんだもん!」 
「ホ〜 どんな話なの?」 「どんなって、似たような話なんだけど… 
今度の校長先生は、自分の話ばっかりするんだ。」 
「アララ… 前の校長先生は、違ったの?」 「うん! 前の校長先生はね、僕
たちの話をよくしてくれたよ。だから、面白かった!」 
よくよく聞いてみれば、どちらの校長先生も、子ども達にメッセージを送ろうと、
気を配られているようです。
その導入として、前の校長先生は、子ども達の日常の会話や行動を紹介する。
新しい校長先生は、自分の感想や小さい頃の自分の話を使われる。
でもその違い、聞いてる側にとっては大きいのでしょうね。
当然のことながら、自分達の話をよくしてくれる先生は身近な存在になるし、
「いつも僕達を見てくれている」というメッセージとして受け取っていたようです。

 トントン… 浴室の扉を空けて、「宿題やるから、母さん聞いて!」 「ハイ、どうぞ」
 … つっ立ったまま、固まった。「アレッ?音読とチャウの?」 
「チガウ。今日の宿題は〜、今日学校であった楽しいことを、家の人に話す!」 
簡単、簡単! という雰囲気で、楽しそう。 
「ヘ… 素敵な宿題じゃな〜い! 楽しみ〜 どうぞッ?」 浴槽に腕をかけて、
我が子を見上げて数秒… 
「ウ〜ン… これがなかなか難しい…」そう言って、扉は閉められた。アララ…
 うちの小学校も、情報化推進リーダーが決まり、少しづつ、
総合的な学習の時間のミニ版を試行し始めている。
まだまだ手探りの試運転。でも日常的な活動の中にも、
新しい工夫が見られて楽しみなのだけど… 
元気に、「いってきま〜す!」と明るい声で出かけていく我が子だけれど、
「学校であった楽しいこと」探しが「なかなか難しい…」のが現実の様子。
楽しいと言うことは、学習の大切な要件ね。楽しい授業、楽しい学校…  でも、なかなか難しい。 
この宿題、時々私も、聞いてみようかな…? 

 仕掛ける側はそれなりに考え、良かれと思って行動する。
でも、相手がどう受け止めるかは、別の問題ね。子どもの素直な発言は、
時として私達に、とんだ思い違いを知らしてくれる。
「そんなこと言うもんじゃないわよ」とか「ハイ、静かに!」なんて、発言を封
じることは簡単。
でもね、気分よくノビノビと言いたい放題!というのも、いいものですよ。
そこから出てくる、素直な発言を聞いていると、面白い。
思いがけない成長、やさしい気配り、学校での様子、普段は見せない寂しさや
孤独を感じることもある。
イロイロ感じて、クルクル考えて、そうやって大きくなってきてるんだね…





○2000/10/31 第23号より
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【kazumi のワープ】〜地域社会の学校教育現場への参画〜 小田和美
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先週末、高知で開かれた全日本教育工学研究協議会に参加しました。初日早朝か
ら、山奥深くにある小学校の公開授業を見に行きました。
 1・2時間目は、ハンディキャップをテーマにした活動。26時間分の活動を想定し
たカリキュラムは、導入・触発・問いかけ・活動(調査・取材)・交流・話し合い・
まとめ・発表(今回)と、とてもうまく流れていました。当日はテレビ会議システム
を使い全国の会場に公開されることはモチロン、福祉センターともテレビ会議
で結ばれ、そこに集まっておられるハンディキャップのある方と、交流しながらの発
表でした。取材結果のまとめ等にはデジタル映像が活用され、日常的に情報化推進が
行き渡っていることを感じました。発表から、子ども達が何度もセンターに伺い、話しを
聞いたり体験をしたりしてきたことがわかりました。チョッピリ緊張し、普段使わ
ない敬語を使い、照れと喜びとが入り混じる公開授業でした。
 
ところで、デジビデのフィルムを切らし、予備のフィルムを車に取りに戻ろうと
授業の途中で学校の外に出たところ、
車椅子に乗ったおばあちゃまが学校の門の付近で学校の方を気にしていらっしゃる。
アラッツ? 
駐車場までの道を走ろうとすると、肢体不自由の女の子が、
電信柱の影から学校を見守っている。エッツ?
フィルムを買って急いで会場にとって返そうとすると、先ほどの少女もおばあちゃまも、
まだ、笑顔で学校を見守っておられる。
そっか〜 もしかしたらおばあちゃまも少女も、学校の中の子どもたちの発表を、
応援しに来てくれてたのね〜?
 教室へ戻ってみると、車椅子のひとが参観していたり、地域の方が参画していたり…。
そうか、この授業、地域の人たちと子どもたちとが一緒になってつくりあげてきたのね。
山の中の小学校の場合、地域と学校が一体化できる。いつも見かける顔、
いつもすれ違っていた人、誰々のお兄さん、誰々のおばあちゃん… 
そういう身近にいた(でも少し離れてみていた)人たちだから、
体験学習をしてもそのそれが身近に感じられる。
お話を伺っても、スっと受けとめられる。同じ生活環境の中で暮らす人だから、
町のバリアフリーも自分たちの問題として考えられる。
逆に、ご老人、ハンディのある方にしても、自分の地域の子どもたちだから親身に交流が
できる。これって、とても重要で素敵なことですね。

 地域の学校教育への参画が、推奨されています。東京のウチの子達が通う小学校で
も、地域の老人ホーム訪問や昔遊びの伝承などを取り入れ始めました。
でもね… 東京とはなにか違う。ウチの小学校の老人ホーム訪問。学習後の感想文で、
「わけわからないけど怒られて、気分悪かった」
「一方的なお喋りを聞いてるだけでつまんなかった」
「自分や家のことイロイロ聞かれて、返事に困った」とか…の感想もあったっけ。
モチロン多くの子どもたちは「よかった」「もっと仲良くしたい」「楽しかった」…と、
おとなの期待に応える感想を述べていたけどね…





○2000/11/14 第24号より
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【kazumi のワープ】
   〜地域の人が授業へ参加することの意味〜     小田和美
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 開かれた学校、地域の学校参入… 言葉としては、だいぶよく知られるよ
うになりました。でも、理解はマチマチという感じです。というより、その
ような教育の変化を必要とする文脈が理解されないまま、形の模索が始まっ
てしまっているところがあるようです。

 都内のある小学校でも「総合的な学習」の研究実践が始まっています。こ
れまで、単発的にですが、ネイティブを招いての英語の時間、地域の老人ホー
ムの訪問、地元の警察署による薬物の勉強… と行ってきました。先生方も
勉強会を重ね、段々形を整えてきました。この9月からは10時間近くかけ
て、「地域の方に学ぶ調べて発表する学習」も行わたのですが…
 夏休み前、保護者に対し、書面で地域ボランティアの協力依頼が行われ、
有志の方が何人か申し出ました。子どもたちに教えられるものがあるかどう
かという問いでした。
 また、夏の間、子どもたちには、「自分が何をしてみたいか考えてみる」
という宿題が出されました。そして、2学期、「地域の先生」開講の、いく
つかの授業が提示され、子どもたちはそれぞれ、自分が受けたい授業を選び
ました。9月の間、子どもたちはその「先生」から学び、一緒に何がしかの
体験をし、その結果をまとめ、その発表が10月に行われました。そのうち
のいくつかを見たのですが…

 いくつかのテーマの中から自分で選び、体験を通じ学び、グループで相談
し、まとめて、発表…してることはしてるのだけど… 違うのよね〜 子ど
もたちの目が生き生きしてないのよ。
 たとえば、手芸を選んだグループ。学習の様子を紹介したビデオからわかっ
たことですが、用意、作業、段取り、アイロンかけ、後始末… 子どもたちが
行うべき多くの活動は、お母さんによって行われていたのです。「子どもの拙
い作業を傍で見ていられなくて、ツイツイてが出てしまう」ということでしょうか。
 「地域のお地蔵さん」を教えてもらったグループ。お地蔵さんの場所を全
部教えてもらって、由来・神社・陰陽五行・昔の生活等々を発表していまし
たが、発表の模造紙の字が大人の字。発表内容も、子どもらしくない。聞い
たら、「先生」が全部しきって用意をされたらしい。勿論、子どもたちは理
解しないままの丸暗記状態。「お地蔵さん探し、おもしろかった!」「そう
! あんなとこにあるなんて知らなかった!」という感想だけは、素直に輝
いていました。だとしたら、「地域のお地蔵さんを探そう〜!探検隊」とし
て、地域の地図作りやインタビュー活動を絡ませた活動にした方が、おもし
ろかったわね…
 できの不出来は、問題ではありません。子どもたちがどこまで興味深く、
自発的に活動し、メディアを活用した情報収集や調べ学習にまで発展してい
けるかどうか… そこが、教育する側の醍醐味ではないのでしょうか?

 地域の人が学校に入りこむということは、先生の代わりをするためと勘違
いしているのではないでしょうか。教員の役割が変わったということは、子
ども自身の学びの形が変わったということ。地域の参加も、教員がしかける
「学習のための環境のひとつ」でなくてはね。「先生」と呼ばせること自体、
子ども・「先生」・教員に、誤解を生じさせてるのかも知れません。どちら
にしても、その「先生」に、「何をしていただくか」は、本来、教員のカリ
キュラムデザインの範疇。事前に細かく打合せをして、その後の授業展開を
想定しておかなくてはね。勿論、地域の方には、事業のねらい、教育方針、
してほしいこと、してほしくないこと等を示しご理解をいただく、これは絶
対大事。

 地域社会の参加は、学校の教育権の放棄ではないと思いますよ。やはり学
校は、専門家の目で、子どもの成長や学習を見守り支援していくのが仕事だ
と思います。





○2000/11/28 第25号より
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【kazumi のワープ】
   〜私達、間違っていないかしら…〜     小田和美
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 ITC研修の準備やら運用やらで、ここ2週間ばかり、連日連夜、子どもに「おや
すみなさ〜い」を言えない日々でした。日曜返上のスタッフには申し訳なかったので
すが、罪ほろぼしに、日曜日、子どもと山に行きました。
御岳山。青梅街道の奥、古い神社が祭られている山です。
日曜日ですと、都心から車で約3時間。青梅街道という幹線道路を、一路西へ進みま
す。

 山は、好きです。海も好きです。無理なことは嫌いですが、自分のできる範囲で、
長い時間自然の中で体を動かし、いいアセかくの、ダイスキです。これって、今流行
りの、有酸素運動ってヤツなんですよね。これをしていると、筋肉はつかずに、体内
に蓄積した余分な脂肪から燃焼していく、のだそうですね〜! 楽して、気持ちよ
くって、そして美容と健康にいいのですから、文句なしッ!! ということで、久し
ぶりの母モードを、山歩きに設定したわけですが…

 青梅街道を運転中、アレッ?? アレレ??
 青梅街道沿いの歩道を、ゼッケンをつけた人たちが大勢歩いているのです。秋晴れ
の東京の日曜日。青梅まで約30kmの地点。ウォークラリーが、開催されていたの
です。東京に住んでいると、この種の催しに、時折出会います。でもね… 

青梅街道って、車の交通量、多いですよ。その脇を、タッタッタって、歩いたら、
そりゃ、有酸素運動になって、空気がいっぱい欲しくなる。でも、そこで吸い込む
空気は、安全かしら? もともと、喘息様アレルギーを持っている私は、歩くだけ
でも気分悪いから、いつも、幹線道路から外れて遠回りをするくらいなのにね…
 
健康にいいはずのウォーキングが、かえって健康を阻害しているかもしれない…
どうして? だって、私達の生活環境が、大きく変わってきているのだからね。

こういうことって、たくさんありそうです。新しく赴任したある私立の幼稚園の園長
先生に聞かれたことがあります。「この幼稚園は、裸保育で有名らしく、晴れの日も
曇りの日も、裸保育をしています。風邪気味のお子さんもやっていますが、あれ、本
当に健康にいいのでしょうか?」 そういう疑問をもてる園長先生って、私は、素敵
だと思います。実際、キチンとしたデータを見たことはありません。北欧のように日
照の少ない地方では、暖かい日だまりで、裸で日光を浴びることに意味はあるでしょ
うけれど、日本はどうでしょう… 小さい子は、大人に比べ、寒い・暑いの皮膚反応
が鈍感です。
大人なら我慢できないような寒さも、子どもは感じにくいため、大人から見れば
「頑張ってる」「強くなった」などと思いますが、これは、自分を基準にした捉え方
ですね。

 時代が変わり、生活様式や、家族のあり方、生活環境が変わってきています。変え
ていかないと対応しない価値観もたくさんあるはずです。でも日本人って、これまで
のシキタリや慣習を変えることに、どこか罪悪感を持ちやすい民族のようです。まし
て、これまで「いいこと」とされてきたことを変えるのは、「革命的!」と感じてし
まうのかしらね…  オカシイと思ったら、当然のように見なおして、やっぱりオカ
シイのなら、変えればいいのにね〜  





第26号は、番号合わせのため、メルマガ番号欠番




○2000/12/12 第27号より
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 [4]【kazumi のワープ】
    〜グチ(愚痴)からの旅立ち〜         小田和美
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 先週末の土・日、「雪おこし研修合宿」に参加しました。会場の関係上、
定員80名。定員をオーバーしての開催でした。主催は、J−COM。
J−COMは、上越地区の情報教育な面々の研究会です。
現場の先生、教育委員会、指導主事、センター職員、大学の研究者、学生… 身分所属を問わず、
それぞれの立場で教育実践と自己研鑚を積んでこられたツワモノの集いです。
といってもその規模は、各地方に見られる研究会グループと何ら変わりありません。
「登録してる人は数十名かな… でも、常時活動してるのは、十人程度でしょうか…」
(会長談…) 放課後、休日の土曜日、子どもが寝た後の夜、合間を縫って自主研
究会を開き、自らに課題を課しながら、「言い出しっぺがやる原則」のもとに、活
動をしてきているようです。

 今回の研修合宿の様子は、Webサイトに公開されています。
  http://ace-jcom.educ.juen.ac.jp/jcom/yukiokosi/index.htm
          (http://www.jcom-e.net/yuki2000/index.htm)

 事前準備の様子、雪おこし研修のためのMLでの交流の様子、案内地図、時刻表、
資料…。さらに当日の研究会の内容も同時進行でアップされた、至れり尽せりのサ
イトです。永野先生の講演もさっそくPPの原稿付きで公開されています。
その後の、過酷過激感激のワークショップ(情報教育の評価基準を考えよ〜!)の
お題と作業の様子、その結果の集計、夜のセッション、真夜中のセッション、実践
発表…  結果が、まとめてUPされているので、参加できなかった諸兄諸姉も、
Webを訪れるだけで、ミッチリ心頭充実状態になることと思います。

 雪おこし、私は今度が2回目の参加です。富山で「ささみね合宿」、上越で前回
の「雪おこし合宿」が開かれたのが、去年の暮れから今年の始めにかけて。まだ、
1年も経っていません。でもね、今年の初めと今とを比べ、ものすごく大きな違い
を見つけました。全体として「うねり、動き始めている」という実感です。

 約1年前も、ミッチリとした研修と、夜通しの熱い交流が行われました。参加者
は、今回同様、これまでも地道に活動をされてこられた面々。それぞれの地域や職
場に、それなりの大きな問題を抱え、自分の教育観と現実とのギャップに愚痴とも
聞こえる「ぼやき」が、やもすると聞かれる夜のセッションでした。
そこで、永野先生が、「愚痴るのはやめましょう。流れは、確実に変わっていきま
す。それでもやらない人は、放っておけばいいのです。外を変えようと個人の立場
で戦っても何も変わりません。いまは、自分との闘いのほうが大切なのです。battle
ではなく、fightです。前進に繋がらない議論はやめにして、先に繋がる議論と実
践をしていきましょう。」と言われたことを思い出します。

 それから、1年。制度が変わっても、中身はそんなに簡単に変わりっこありませ
ん。人間一人一人の思考や行動も、同じです。しかし、今回の合宿では、「ぼやき」
は聞かれませんでした。話の端々に、それぞれの地域での重い動き(変わらない問
題点)は伝わってきます。でも、それに対して「だったら、こうしてみよう」とか、
「じゃあ、@@に直接あたってみよう」という前向きな作戦に繋がる議論が展開されました。

 人間って、寂しいし、不安だから、「ぼやき」ます。つぶれそうな自分を守るた
め、できない自分の保身のため、慰め合うため… それが、愚痴になります。人を
非難し自分を守る快感に、おぼれてしまう人も出てきます。愚痴はイヤだからと、
現実からも目をそらす人も出てきます。それでは、前には進めません。
 「ぼやき」ながら、発散し、前に進んでいく人もいます。言わなきゃストレス溜
まりますからね〜!! でも、それは、一方的な発散です。現実を俯瞰することに
は繋がりにくい。
 「前進の方策を探るため、事実を把握し、認識する作業」。一見「ぼやき」と似
ていますが、似て比なるものだと思います。

 ところで…
 これって、ITC(情報化推進コーディネータ)に求められている資質にも、通
じていると思います。
 JAPETを窓口にした、2000年度Web型ITC研修が、中盤に差し掛か
ろうとしています。インターネットをフル活用した、新しいタイプの自己研鑚型研
修です。意識と力量と実績を持った面々が研修者として参加しています。当然、イ
ロイロなご意見が出てきます。そのさじ加減が、人それぞれ… 理想的な「こうあ
るべき論」を掲げ、現状の事実確認をしないまま、主催者側の判断に対し一方的な
批判メールを送ってこられた方、掲示版への討論という課題に自分の意見を書きこ
むだけで、他の人とのコミュニケーションがとれない方、個々の学習者のマシン設
定環境に起因する範囲のトラブルに対して、事務局に対してクレームをつけてくる方…

 人社会の縮図が見えてきます。一人一人の、行き場のない不満や行き詰まりも感
じます。でも、そこから次のステップは、始まりません。自分の現在の姿に気づき、
本来何を目指そうとしていたのかを思い起こし、そのための賢明な方策を探れるよ
うになること… 

 これが、これからの教育者にも、ITCにも、強く求められているのだと思うこ
のごろです。





○2000/12/26 20世紀末 特集号の 第28号より
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■してき(詩的、私的、指摘…)な話  小田和美  
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1年を振りかえり、年忘れ… という言葉とはかけ離れた毎日を過ごしてる…

そんな感じがする年末…  お正月か〜… そっか〜 1年しかたってないんだ…
それ以前の私の時間が、この1年に意味を持ってリンクされてきています
これまで、抱いてきたこと、暖めてきたものを、孵化させているような感覚です
この1年にリンクされていない時間は、記憶の外におかれてしまったような…

そんな中で、ひとつ、やり残してるような気持ちになることがあります

数年前、サイレントベビー という言葉を知りました。
以来、教員養成の講座を担当している私の、教材ネタの一つになっています
17年前に、山口県の小児科の先生が言いだした日本語です
アメリカでは、ディスプレスドベビーと言い、
さらに数年前(だから、20年以上前)から指摘されていたと聞いています
静かな赤ちゃん 大人にとっては、都合のよい(手間のかからない)赤ちゃん

でもそれは、
コミュニケーションを諦めた赤ちゃん、表現する意欲を失った赤ちゃん…
親とのコミュニケーションを断たれた(無視された)赤ちゃん…
生まれてから間もない期間に、
「全面的な安心と信頼」の約束をえられなかった子が、
コミュニケーション阻害を起こした状態…
信頼、安らぎ、思いやり、許し、自立、愛情… の芽生えを阻まれてしまう状態…
それを、大人社会が、つくり出しているということです
今年、17歳の犯罪が多発したことと、心の中で、どこかつながります…

気を抜けば、機械的に、大人の期待する子供たちを大量生産するような教育…

私は多分、そうでない教育の新しい可能性を、
情報教育を生み出した私たち社会の中のエネルギーに、期待しているのだと思います

情報教育は、勿論、情報教育として、
従来の教科教育で扱えなかった独自の学習内容を持っています
でもそれを、「コンピュータ教育ではない」と決め、
そう表現したエネルギー(強く主張した人、共振した人、
        同じ想いを持っていた人…)に、私はひかれています

情報教育からのメッセージが、日本の教育観に、知らず知らずのうちに浸透して、
大きな変化のウネリを作り出す…
子どもたち一人一人の成長を感じ見守り支える教育が、当然の前提になったら、

素敵だな〜 …ムニャムニャ… そんな初夢、神様、お願いね…




○2000/01/09 第29号より
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【kazumi のワープ】
   〜東京と空〜            小田和美
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3歳から東京に住んで、ンッ十年…
一度の例外を除いて、お正月は東京で迎えてきました
 
今年の東京は、小春日和
暖かくのんびりした空気が、
人のまばらな東京全体を、包んでいました

気持ちのいい時間の中で、つい見上げれば、
どこまでも抜けるように、鮮やかで深い、青空…
 ……

毎年、お正月になると、
 ああ、空がきれいだな…
と、しみじみ感じ、
 そうだった…、お正月の東京の空は、きれいなんだ…
と、思い出します

東京も、地球の上にある自然の一部なんだという当たり前のことが、
そういう状況になって、改めて実感されます
覚えている、知っている、頭でわかる  ということと、
実感する、自分全体で納得する  ということの違いを、
体で感じる瞬間です

多分、東京のお正月の青い空は、
私に刷りこまれている原体験のひとつでしょう
大きくなった今では、そのことから、多くのことを考えられるようにもなりました
東京という街の特異性…
日本の文化、お正月、家族、シキタリ、社会の営み…
地球を切り刻んで生きている人間の悲しさ、貪欲さ…
人間の作り出した文明が侵しつづけている自然の存在…

そして、なにより、
たった数日、人が曳いて(ひいて)いくようにいなくなった東京に
すかさず戻ってきた自然の逞しさ(たくましさ)、美しさ、やさしさ…


情報教育を通じて私たちが始めようとしている新しい教育の方法は、
 「覚えている、知っている、頭でわかる  ということと、
  実感する、自分全体で納得する  ということの違いを、
  (無意識にでも)体で感じる瞬間を重ねることによって、
  自分自身の 感性で感じ、心で捉え、言葉で表現できる
  そういう次世代を、育成していくことなのだ!」
ということだと、私なりに納得しています。
だから私も、チョットマジに取り組んでいる… そんな感じです…

やっぱり総合的な学習の時間は、単なる体験学習ではないんです…
体験から得られるものを大人が期待して、子どもに押しつけては意味ないんです…
学習を通じ、自分を伸ばしていくには、時間が必要なんです…
楽しいけれど、勿論、遊びの時間とは違うんです…
そして、
重ねる体験を、一人一人の子どもが自分のモノとして受けとめ、
自分の心で感じ、考え始めるように、
あの手この手を仕掛けて、気付きを促していくのが、
これからの私たち教員の仕事なんです…





○2001/01/23 第30号より
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【kazumi のワープ】
   〜1年たって… ちょっとの変化…〜       小田和美
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去年のちょうど今ごろ。
東京郊外の、とある街道を走っていた時の話です。
運転している私の目の中に、白いモノが飛び込んできたのです。
「アレッ?」と、よくよく見ると、
葉を落とした街道沿いの街路樹の幹に、真っ白い巣箱。

??
巣箱って、これ、鳥寄せ…?
鳥がホントに、くるのかな…
鳥って、木の上に巣を作るんじゃないの…??
そっか〜、木の幹に巣を作るのもいるね…
でもこれって、生態調べないとな〜
なんか、鳥にまで、人の勝手押しつけちゃってる感じ〜??
真っ白い巣箱じゃ、目立っちゃって、危険じゃな〜い??

冬の街道沿いの並木道。
巣箱で鳥を、呼び戻せるのか…
春まで様子を見てみましょう…
そして、春。巣箱に鳥はやってきませんでした。
いつのまにか、巣箱は取り払われ、街道を緑が覆いました。

1年たって、先日、同じ街道を走っていたら、
運転している私の目に、何やらテンテンと飛びこんでくるのです。
チラッとみると、木の幹にコブがついてる…
「エッ?」
よくよく見ると、それは、保護色に塗られた巣箱。

1年たって、少し工夫が加わって、またチャレンジですね。
でも、目的は同じ… 鳥を街道に呼び寄せたい。
去年は笑ってしまった私も、
今年はチョット、嬉しくなりました。
まだ、鳥には気に入ってもらえないかもしれませんね。
でも、目的を見失わなければ、考えるでしょう。
そして、そのうち、自然と共に暮らすということのもっと深い意味が、
わかってくることでしょう。

火曜メルマガ… 1年たちました。
でも、何年たっても、目的は同じ。
一人ひとりの学習意欲を大切にした、
情報活用能力を育成する教育の理解と浸透 のためのマガジン。
でも、購読者には、気に入ってもらえてるのかしら…?
それがわかれば、もっと工夫もできるでしょう。
読者と一緒に作っていくメールマガジン…
1年たった今を、新しい工夫のキッカケにしていきたいですね!