目次

第11号: 運動会 (2000/06/12)
第12号: インターネット講座のテキスト製作 (2000/06/27)
第13号: 情報って、タダ?? (2000/07/11)
第14号: ゲームってイケナイこと…?? (2000/07/25)
第15号: 訳あって、番号とばし(メルマガ欠号)
第16号: 訳あって、番号とばし(メルマガ欠号)
第17号: 〜自然と暮らすということ〜 (2000/08/07)
第18号: 〜科学する心…〜 (2000/08/22)
第19号: 〜夏休みの最後の一日〜 (2000/09/05)
第20号: 〜ちょっと、悲しい話〜 (2000/09/19)

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○2000/06/12 第11号より
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【kazumi のワープ】運動会              小田和美
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アッツゥ〜!!
 気分よく湯船に身を沈めた途端、両肩に襲ってきた、沁みるような痛み!かれ
これ十日前の日曜日。晴天に恵まれた東京・杉並区。小学校の運動会。若い?母
(私)が両肩を出したタンクトップ姿で、デジカメ・デジビデ撮影に没頭した数
時間。その結果が、これなのです。

 小学校の運動会って、好きです。参加している子どもたちも、自然に体動か
して、楽しんでいる。でも、中学校・高校へいくと、どうして、スポーツ競技大会に
なっていくんだろうなァ… 
 運動と、スポーツ競技とは、根本的なところで違うはず。だから、教育的意味
に照らして捉えていかないと、人間にとって楽しいことであるはずの運動が、イ
ヤイヤ体を動かすだけの「お勉強」になってしまう。

 なんて、考えながら、応援をしていて、ハタッ…?
アレッ? この運動場、おかしい… 暑い… 体が、だるい… ソッカ〜!! 
この暑さだ!! 夏は暑くてあたりまえ。でも、この暑さは、自然の暑さじゃな
い!この運動場、木陰がない。生の土がない。固く固められたグラウンドに、白
くトラックやコートが描かれ、縁にホンの申し訳程度の十数本の木。ひょろ長く
伸びたその枝には、まばらな葉っぱ。これ、自然とは言えないよ〜! 
 その中で、ヒサシのついてない体育帽ひとつで椅子に座り、何時間もジリジリ
肌を焼きながら、マッカな顔して、水筒ひとつで座ってる子ども達。
大人たちは日陰を探し、動き回り、友達と好きに会話をかわし、役員と呼ばれ
る人たちはテントの中。これ、おかしいよね…

 自然の中で一日、運動をしたり観戦しながら過ごす運動会… 例えばこんな感
じの運動会があって、いいんじゃないの…?

 『グラウンドの廻りには、葉をこんもりと携えた木々が小さな林になっている。
その木陰で、応援と暑さに疲れた子は、涼しい風の中のどを潤し、自然の安らぎ
を感じる。体の中の熱気を冷まし、心まで元気になった子は、また楽しく応援に
参加して行く… 
お昼は勿論好きな場所で、家族や友人と一緒にハイキング気分!』
 これって、学校教育の実践を支える、学習環境の設計の問題ですよね〜

 結局うちの娘は、両腕・顔をマッカに焼いて、微熱を出して、学校を一日休むこ
とになりました。  ウ〜ン…





○2000/06/27 第12号より
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【kazumi のワープ】インターネット講座のテキスト製作  小田和美
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 夏のNHK、「しりごみしていた先生のためのインターネット講座」の番組収

がはじまったとの情報が流れていますが、それに先立ってテキスト製作作業が
終了しました。発売は、7月11日で〜す。
 今回参加して、面白い経験をしました。本全体を、参加者全員で作った…とい
う感じ。10章分の内容は、分担者が構成を考え、必要な資料・情報をMLで情
報交換しながら出しあい、それをもとにライターが原稿の原案を起こしたのです
が、さてその後の校正のやり方が新しい。全員が全章を読み、寄ってたかって
協議して、編集・書きなおし…。もちろん多くはインターネットの上で…
 時間はかかりましたが、「製作に係わった多くのメンバーが全文の内容を熟知
している」という状態で製作作業が終了しました。

《ワ〜プ・ホップ!》
 これって、ネットワークの発展とよく似てるな〜。1箇所で情報を集中管理し
ていた時代、これは単著(ひとりで本を書く)ね。いくつかのサーバーに分散さ
せて情報管理していたインターネットの夜明けの頃、これが従来の共著ね。そし
て、分散管理だけれど、たがいにミラーを置き、ネットワーク全体で情報を共有
してる状態、これが今回の製作形式ね。
 
《ワ〜プ・ステップ!!》
 大元の方向性(想い・価値観)を共有するメンバーによって、全体の流れが
決められ、実際の作業では、いろいろと大変なこともあったげど、臨機応変に
対応し、「ア・ウン」の呼吸で製作が進みました。

 このような、互いの垣根が低いプロジェクト型の執筆ができたのは、スタッフ
が情報教育を専門としているからじゃないかしら…だって、子どもたちの興味・
関心を活かした「総合的な学習の時間」では、大元にある教育観を共有する
教員グループによってカリキュラムが構成され、実際の授業では子どもの反応
に臨機応変に対応し、「ア・ウン」の呼吸で授業が展開されていくのでしょ〜!
「子どもたちの能力の育成」という大きな目的のもと、これまでありがちだった
教員1人ひとりの「縄張り意識」から自分を解放させていく… これが、自己改

の第1歩ではないかしら…?

《ワ〜プ・ジャンプ〜!!!  ド〜ンと方向転換〜》
 テキスト製作の最後は、「奥付け」の作成。
著者紹介は、永野センセの分だけ。その原案を読んでてアレッ??どして、生ま
れ年とか生まれた場所とかが必要なの? どういう生まれ育ちかということでは
なく、どのような活動をしてきたかということの方が、著者情報として大切なの
ではないのかな? 欧米の著者紹介には、生まれ年・場所なんてものはありませ
ん。成長したその人物の現在の姿勢・主張を手短に紹介します。
ご本人の快諾のもと、生まれ年情報は、カット。そして、参加者全員の名前が書
いてあります。

 著者紹介に、生まれ年、生まれた地域、時として両親の職業までも書きたがる
日本。 それはね、年齢・氏・育ち… そういった本人以外の要素で序列をつけ
て統制を取ろうとしてきた、日本的価値観の名残だと思うの。「名残じゃない、
現状だ!」 ですって…? そうなら、悲しいね… 形じゃなく実体を、大切と
受けとめられるようになりたいな〜


 それにしても、情報化の時代だというのに、出版作業はまだまだ情報化が
遅れているのね。原稿のワープロ提出、校正のディスカッション、DTP、
確認のWeb活用。ネットワークを仕事にフル活用しているケースは、教科書
づくりでは珍しいことだとか…





○2000/07/11 第13号より
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【kazumi のワープ】 情報って、タダ??       小田和美
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 研究室を学内のイロイロな人が訪ねてきます。「先生、@@について教えて
いただけませんか?」「@@の様子を、ちょっと見てください。」「@@と@
@、どっちがいいでしょう?」… 学内の情報化推進のため、時間の限りは対
応するようにしています。でも、これって、義務とは違いますよね〜 場合に
よっては、最新情報をインターネットで私が代わりに調べることもあるけど…
 アレッ? これっておかしくな〜い?? 情報って、誰のもの?

 インターネットの普及は、私たちの価値観に大きな変化をもたらした。イン
ターネット上の巨大なデータベース。それは、『情報共有』『情報公開』とい
う意識(価値観)を生みましたね。そして、『情報を持っていること』自体は
意味(価値)を失い、その『情報を活用する能力』が、人間の価値基準になっ
てきている。みんなに関係する情報は、『情報公開』する。同時に、私の情報
や他人の情報はむやみに公開しないという『個人情報の守秘』という考え方も、
はっきりしてきたわ。
  自分のものは自分のもの
  人のものは人のもの
  皆のものは皆のもの
 インターネットは、皆のものですね。でもね、いざ改めて問われれば、その
ような意識をもっていても、実際はどうかしら…?

 インターネット上に公開されている情報。これは発信者が、『公開』を了解
している情報ですね。どんどん検索して情報をゲットし、活用してください。
だけど自分の物みたいに勝手に流用していいかどうかは、また別の話。ここに
は『著作権』問題が絡んできます。NHK、夏のテキスト参照〜!!
 でもね、『公開されている情報を知る』ことと、『相手の情報の公開を求め
る』
こととは違うわ! 
 相手に聞く場合、その情報が『相手のもの』なのか、それとも一般にも広め
ることが前提の『公のもの』なのかによって話が違ってくるわね。当然のこと
ながら、『公の情報』であるなら、しかるべき方法で公開されているはずだか
ら、聞かれた側は、「@@をご覧ください」と対応することも可能ね。
 でもね、その情報が『相手のもの』の場合、その提供は、義務ではないわ。
特に、公開されている情報を活用した結果の二次情報・三次情報、オリジナル
情報の場合、『公開』は当然ではあっりませ〜ん!!
 ここんとこの社会的認識・常識が、特に日本では、未開発。最近、情報化推
進・情報教育の進展に伴い、やたら非常識が目に付くようになりました。

 ☆調べたり勉強すればすぐにもわかるような情報を、気軽に(相手の忙しさ
  も考えずに)聞いてくる
 ☆オリジナル情報として意味・価値ある情報を、聞かれたすべてにわかりや
  すく教えるのが『当然』のような雰囲気で、聞いてくる。

 インターネットは、『どんな情報も気軽に手に入るような錯覚』『情報を簡
単に作り出せるような錯覚』をもたらすみたいね。そしてそれは、情報を生み
出す裏側の研究・努力に対する尊厳を忘れさせる落とし穴でもあるようね。
『情報の質の見極め』が情報教育で必要とされているけれど、その中には、
『情報はタダではない』ということも入れておくべきでしょう。





○2000/07/25 第14号より
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【kazumi のワープ】 ゲームってイケナイこと…??   小田和美
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 夏休み。東京の夏は、アスファルトジャングル。「外で遊びなさ〜い!」と言
いたいけど、日中は灼熱地獄。木陰のない公園で遊ぶことに、ついつい疑問が沸
いてきます。見晴らしよく刈り込まれた樹木。もちろん見晴らしが悪いと、性的
犯罪の犠牲者が連続してしまう… 
 都会では、子どもたちの秘密の遊び場など、贅沢な望みなのでしょうか? 結
局、日中は、我が家か地域の区民センターが、子どもたちの溜まり場。当然、全
身を使っての遊びと言うわけにはいかず、ゲームになるけど…

 大人は、ゲームというと、マユを潜める。デジタルゲームの類は、悪者扱い。
でも、面白いのよね。面白いから、夢中になる。夢中になるから、上達する。工
夫もするし調べもする。(小遣い)計画立てて、行動する。情報を交換し合っ
て、相手の動きや表情にもアンテナはれる。アレッ? これって、情報教育の目
指すところそのままじゃな〜い?

 いま、うちの子は、カードゲーム。年代に応じて、幾つか種類がある。ルール
が、だんだん複雑になっていくのよね。豊富なキャラクター。それぞれに割り振
られている能力。状況に応じての多用なルール… ついて行けない世界。我が家
では、小4は遊戯王、中1はガンガンバーサス。ちなみに幼稚園児だと、ポケモ
ン ね。

 土曜日、全国のツワモノが集まって、ガンガンバーサスの大会がありました。
近代的なガラス張りのビルのホールに、対戦用のテーブルが置かれ、30人のお
となしそうな少年少女が集まりました。エントリーを済ませると、一人ひとり呼
び出され、デッキ(対戦用のカードのセット:自分で戦いを想定して、カードを
組む)の厳正なチェック。神妙・真剣な面持ちで、チェックを受ける彼ら。1枚
でも不正なカードがあると、デッキの作り直し。無事チェックを終え、思わずこ
ぼれる安堵のやさしい笑顔がきれいでした。
 対戦前のルール説明のあと、質問コーナー。緊張しながらも、前々からの疑問
をぶつける彼ら。ゲームの開発者たちの、丁寧で暖かい対応。場合に応じて、判
断を示しながら、疑問に応えていっていました。 うまいな〜…!対戦相手が決
まり、それぞれのテーブルで相対峙し、ゲームの開始。微笑を交わすもの。「よ
ろしくお願いします」と思わず頭を下げあうもの。どのテーブルも、互いに好意
を示しあいながら、形ではない挨拶を自然に交わしていたのに、嬉しくなりまし
た。

 主催者に聞きました。「何人ぐらい応募してきたの?」「400人です。」ワオ〜
!!
 小学校から大人まで、全国からの応募者を、年齢や交通費やモロモロを考え合
わせて、人選をしたそうです。「これって、素敵な文化ね。大人はゲームという
と眉ひそめるけど、すごい学習環境だわ!」 と言った一保護者(私)に対し
て、司会をしてた青年(子どもたちの心を解きほぐしながら、派手でなく暖かい
司会をしていた)曰く。「判断力、思考力、決断力、相手とのコミュニケーショ
ン能力、イロイロな能力が要求されるし、身についていくんです。」
 子どもたちの終業式、クラブ活動のスケジュール、試験期間、そう言ったこと
を考え合わせて大会の日取りを決めたとか。奥深い配慮を感じ、改めて、会場を
見回しました。聞けば、もと中学校の教員。現場に失望して、この世界に入った
とか… これからますます、ほんとに人材が、要求されていくのにね…





○第15号、第16号はアンケートのため記事なし





○2000/08/07 第17号より
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【kazumi のワープ】〜自然と暮らすということ〜    小田和美
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 夏休みも中盤。東京のど真ん中でも、休むことない蝉の声。子どもたちは炎
暑の中、真っ赤な顔して遊んでます。小さい頃を、思い出します。当時まだ残っ
ていたハラッパの夏草の中で、秘密の隠れ家を作って遊んだっけ… うちの子
たちには、秘密の隠れ家がありません。公明正大開けっぴろげな公園で駆けず
り回り、小さな生垣の中をくぐり探検して、蜘蛛の巣にうち興じています。そ
れも自然と暮らすということかもしれないけれど…

 ジェーン・グドールという女性がいます。小さい頃は大変な生き物好きでした。
大好きなミミズといっしょに寝たいと、両手いっぱいのミミズをベッドに持ち込み、
家族を驚かせたこともありました。母親が「あなたにとってはかわいいかもしれ
ないけれど、ミミズは土の上でないと生きていけないのよ」と言われ、ミミズに
謝りながらその夜のうちに庭へ返しに行ったそうです。1歳半の頃の話です。
あるとき、鶏がどうやって卵を産むのか知りたくなりました。誰に聞いても、
よくわからない。ジ〜と見張っていると、鶏も緊張して卵を生んでくれない。
そこで、鶏がケージを離れている間にもぐりこみ、わらの中に潜んでいたそう
です。待つこと数時間。やっと目のまん前で、鶏が卵を産む瞬間を見ること
ができました。興奮して小屋を飛び出し、一目散に母親に報告をしにいきま
した。家では数時間姿を見せない4歳の少女の身を案じ、村中の人が森の
中を捜査し、警察も出動する騒ぎになっていました。しかし、彼女の興奮して
キラキラ輝いている瞳を見た母は、少女の報告を最後まで共感を持って
受け止め、共に喜びあったそうです。
 その後動物学を収め、知遇と機会を得、結局彼女は一生をアフリカのジャン
グルの中でチンパンジーの保護・研究をライフワークとすることになりました。
その彼女の本の中には、彼女が自然から学んだ多くのことが語られています。
「子どもをしっかりと抱きしめ細やかな気遣いを持って育てる母猿に育てられ
た子どもは、穏やかで仲間に対するきめこまかい心使いを示す猿になる。反対
に、子どもを放置し世話を焼かない母に育てられた子どもは、仲間に対して攻
撃的で、決して心を開かず、成長してからも自分の子育てがうまくできない。」
われわれ人間の原点が、アフリカの森の中にあるのですね。

 自然に触れて暮らすことが人間にとって大切なのは、自然から多くのことを
学べるからでしょう。豊かな自然からは、やはりそれだけの豊かな学習が得ら
れます。タップリの時間の中で自然と暮らすうち、いくつもの気づきが積み重
ねられていきます。自然が人それぞれに対し、それぞれのメッセージを伝えて
くれるのです。学習するために自然と暮らすのではなく、自然と暮らすうちい
つのまにか(自然に)人として成長していく… そんな学習環境を求めていき
たいものです。そしてモチロン、この学習環境の中には、教員も、親も、地域
社会も、含まれているわけですよね〜!!

ジェーン・グドール著「森の旅人」 角川21世紀業書 1800円 2000年1月





○2000/08/22 第18号より
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【kazumi のワープ】 〜科学する心…〜    小田和美
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 この夏の、我が家の会話の1つです。子供達の家事の分担の仕事ぶりを見てい
て、思わず言ってしまったのです。「もっと、科学的に考えてお仕事したら〜?」
 一斉に帰ってきた反論 「私達、母さんと違って文科系だしね」 「科学なんて
関係ないもんね〜!」 アララ…
 理系、文系って分け方、おかしいと思うよ。それって、学校でやるお勉強ってやつ
に絡めての分け方でしょ? でもね、文系だろうが理系だろうが、
科学する心は大切。科学って、理系の専売特許じゃないんだからね。
「じゃあ、科学的って、どういうこと?」 
 科学的って言うのはね、よく見ること。よ〜く、観察して、そのものをしっかり
受け止めること。そしたら、何かを感じる。ヘ〜ッとか、ソッカ〜とか、
ソウカナ…?とか、ウ〜ンとかね。そうしたら、考える。どうしてかな? 
こうじゃないかな? アレッ、違うな…、でもな…、こうしてみようかな!… 
やってみる。やり直してみる。
そうやって、いつでも心をワクワクさせて工夫して考えることが、科学的ってこと。

科学か〜 考え方や捉え方は、ほとんど子どものときに芽生えるのよね
                                 (…ワ〜
プ〜!)

 おとなしく、どちらかといえば臆病だった5歳の男の子の話しです。服地の
裁断の仕事をしていた父と、夕方になると服を着替え化粧をして父の帰りを待つ
母との間で、自由に、束縛されることなく育った少年です。
ある日、父が、数を教えてくれました。そして、数には上限がないことも。
彼は1000までの整数を、順に書いてみたくなります。父が貯めておいた
ボール紙を出してくれます。書き始めますが、遅々として進まない。夜になり
「もう、遅いわ。お風呂はいりなさい」と母。彼はしおれますが、父が「お風呂の
間は、代わりに書いておいてあげようか?」と提案。無事、入浴をすませ、
就寝時間を少し過ぎた頃、1000まで書き上げたそうです。
「大きな数というのは、なんて大きいんだろう!!」

 その年、ニューヨーク万国博覧会に、両親に連れられていった彼は、未来の
世界を知ります。科学が明らかに示す、驚異の世界を体験します。しかし、
高校を卒業するまで、学校ではひたすらの丸暗記。彼が5歳の頃のドキドキを
大学まで持ちつづけていられたのは、科学ものの雑誌を読みあさっていたことと、
何も言わず、受け止めてくれた両親のおかげだといいます。

 ちなみに、この男の子、名前を、カール・セーガンといいます。超一級の
宇宙天文学者ですが、小説家としても有名ですね。「コスモス」「エデンの恐竜」
「サイエンス・アドベンチャー」「コンタクト」など。知っているでしょ?

「貧しかったが、私が天文学者になりたいといったとき、天文学が何をするものか
さえ知らなかったであろう両親は、何も言わずに賛成してくれた。」
「これまでの人生を振り返り、一番大切なこと、すなわち、懐疑する精神と
不思議さに驚嘆する心(科学の方法の中核となる二つの行動様式)とを教えて
(伝えて)くれたのは、科学のことなど何も知らない両親だった。」

この話は、10年越しで完成した彼の絶筆に載っています。
カール・セーガン 「科学と悪霊を語る」 1997.9 新潮社 2500円





○2000/09/05 第19号より
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【kazumi のワープ】〜夏休みの最後の一日〜    小田和美
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 夏休みの最後の一日。我が家の子どもたちも、宿題の仕事に追われ、無事終
了して…のはずでしたが、当日の朝まで持ち越し。
この夏休みの小学校の宿題は、読書3冊以上、読書感想文3枚程度、夏休みの
記録(一行日記)、自由研究(自由じゃないんですが…) 昔に比べれば、数
は少ないんですけどね…

 読書はしました、何冊もね。感想文にはまとまりそうもない本(こども百科
とか、マニュアル本とか…)も含め、なんかかんか、文字情報に触れていまし
たよ。でも感想文は別物ね。「言葉で自分の【心】を書く」なんて、ホントは
物凄く深い話。

 問題は、自由研究という名前の、調べ学習+まとめ・表現学習 を、家でや
ってこいというコレ。夏休み前に決めておいた「調べたいこと」について「調
べ、結果を大きな紙にまとめて書いてくる」というもの。普段やってない活動
を、夏休み中の課題に期待されてもねェ… ハッキリ言って、無理ね!
 「工夫して何か1つ工作物を作る」というレベルと、そもそも学習としての
意味が違う。子どもたちはインターネットや本で調べて、調べたものを集めて、
読んで、理解して、また調べるまではしたけどね… モゾウ紙目の前に、親子
で考え込んでしまいました。誰に見せるの? どうしてモゾウ紙?

 これって、強いモチベーションのもと、調べまとめ、調べ考え、その結果を
表現してみて、人からの評価をうけ、またまとめ… イロイロ曲がりくねった
道をウネウネと進みながら、その途中で気づき、発見し、身につけて、成長し
ていくことを期待してるんでしょ? 期日きって、強制的に、それでポッと成
果が産まれりゃいいってものじゃないと思うの。

 「ものを伝える」ことから「成長をサポートする」ことに教師の役目が変わ
るということは、ホントは簡単な話しじゃない。でも、どうも、結果(成果)
を出すことにとらわれてる… 活動を通じて子どもが変わっていく様子を教育
側が掴めない状態は、成果の形は似ていても、教育とはいえない。

 自由研究は、自由研究。自由に、好きにやるからいいのよ!

 情報教育の流れが、全国的にジワジワ浸透してきているから、こういう宿題
もうまれるのでしょうか?… 一見、情報活用型宿題。 でもね、教育者の仕
事は形(成果)を整えることじゃない。実際の子どもの様子をよく見て、有効
な刺激を用意すること…

 親ばかの目から見れば、今年の夏休み、子どもたちはタクサン遊んで、新し
い経験して、喧嘩もして、感じて、手伝いを通じて生活経験を積んで、それぞ
れがそれぞれに成長しました。それで、満足なんだけど…。それを報告できれ
ばいいんじゃないかしら…。





○2000/09/19 第20号より
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【kazumi のワープ】 〜ちょっと、悲しい話〜    小田和美
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 9月の2・3日、沖縄で、日本教育工学会の夏の合宿研修が行われました。
琉球大学の先生方、情報教育を推進されている現場の先生方、上越、富山、兵
庫、東京からの参加者、和気藹々と、情報交換・研修・協議が行われました。
「沖縄タイム」という、私にピッタリのタイムスケジュールがあって、ゆった
りした気分で、楽しく緊張した研修でした。

 その会で、この夏、沖縄で実践された「アイランドクエスト」というプロジ
ェクトが紹介されました。インターネットを利用した大掛かりで国際的なプロ
ジェクト。テーマを決め、そのテーマについて専門の研究者たちがプロのセン
スで探求をし、それを刻々とホームページ上に報告していく。なかなか魅力的
なプロジェクトです。
 アメリカでは、テーマごとにビジネスが成り立つくらい、子どもも大人も引
き付けているのだそうで、そのノウハウを引き下げ、沖縄から日本上陸してき
た新しいタイプの学習プロジェクトです。日本版第一号のテーマは「長寿」で
した。
 プロモーションVTRも紹介され、日本語の不自由な外国人研究者が、通訳
を介しながら、沖縄中を探索し、風土、習慣、自然生態、歴史…と幅広く学習
は展開しているように見えました。

 ところが、あとの討論の時間で、参加している学校の先生方から、沖縄の子
どもたちは、燃えなかった。あの時間帯はなんだったのだろう?という話が出
てきました。「テーマが子どもの関心とかけ離れていたのではないか」「沖縄
県内を調査しても、子どもには新鮮味がない。テーマは同じでも、世界の長寿
と比較しながらとかの工夫があれば…」「ホームページをただ見せてもダメ。
教室の側のサポート(展開の仕方)が大切」と、イロイロな意見が出されまし
た。
 説明によると、外国人スタッフと日本側事務窓口がテーマを決め、「それで
は子どもは乗ってこないだろう」という現場の意見は受け入れられず、殆どが
主催者側の意向でテーマの設定が運んだそうです。おかしな話。目の前で、子
どもたちの心と外れていく方向に計画が進められていくのをどうすることもで
きず、しかし新しい学習法の可能性のため協力された先生方は、どのような想
いだったでしょう… う〜ん、なんかおかしい。

 その後のセッションで、「沖縄でもネットデイが始まっているが、しっくり
こない。もっと地域や現場の参加でネットワークをはるというのは、不可能
なのか?」という質問がありました。県外からの参加者は、一様に エッ??
だって、地域や現場、保護者の方たちで、自分たちの学校にネットをはる活
動が、ネットデイでしょ〜??
 最初は、何の話かわかりませんでした。でも、聞いているうち、怒りと悲し
み… 県外の人間が沖縄に乗り込み、ネットデイと称し、相当強引に学内LANを
ひく運動を展開しているそうです。校長先生以下、深い理解と納得を得ないま
ま、いくつかの学校で実施されているので、その後、運用に困っているとのこ
と。それではランが学校になじみません。乱入そのもの。
 でもその活動をネットデイと称しているので、「ネットデイというのは無理や
りネットワークを引く日だ」という誤解が生まれていたのです。

 沖縄は本土と遠く離れ、情報がまだ行き渡っていない部分もあるようです。
でも、気候も心も穏やかで暖かな土地。そこへやってきて、自分たちの主張を
通し、相手を変えようとする…  悲しい、話です。
 沖縄に限ることではないわね。他の地域でも、アジアでも、世界でも、繰り
返されている…  私たち自身の教育現場でも気をつけていかないと、子ども
たち相手に、自分を押し付ける結果になってしまう。いつも自分を、外から眺
め、子どもたちの可能性を引き出せているか、つぶしてはいないか…