目次

第101号: 〜先生ッ!! 携帯電話から、逃げないで〜!〜 (2003/11/25)
第102号: 〜ノートをとる〜(2003/12/09)
第103号: 〜ワクワクドキドキのクリスマスイブによせて・・・〜 (2003/12/23)
第104号: 〜お正月って、なんだろう…〜(2004/01/06)
第105号: 〜モバイル端末から情報社会を考える〜(2004/01/20)
第106号: 〜インターネット上のフリーの文化〜(2004/02/03)
第107号: 〜私の学校時代〜(2004/02/17)
第108号: 〜どうなっていくのでしょうね、私たち…〜(2004/03/02)

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○JNK4がNPOに認定されましたよ の (2003/11/25)第101号より
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【kazumi のワープ】
    〜先生ッ!! 携帯電話から、逃げないで〜!〜  小田和美
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 メルマガ100回記念号が続きました。ご無沙汰しました〜! 8週間ぶりの、
ワープです。うまく着地できるかな〜??
 この8週間の間にも、いろいろな事件がありました。メルマガに書こう!
と思ったトピックが、随分とありますが、このメルマガも、あと8回で終了で
すってね。 う〜ん。。。 どれを書こうかな〜〜

 ここ数年、携帯電話に関する調査をしています。最初のころは、子どもたち
の多くは、自分でアルバイトをして、携帯電話を持っていました。最近は、親
と相談して、経費的には援助を受ける子どもが多くなりました。それだけ、家
庭の中では、携帯電話が認知されてきるということでしょう。大人社会は、携
帯を当たり前のように持ち、使い、ひところのような特権意識(?)もなくな
ってきています。

 ある地方では、小学校高学年の半数近くが、携帯を持っているとか…
 中学生や小学生の子どもに携帯電話を与えている保護者の人と話をすると、
「物騒だし…」「塾の帰りが遅いので…」「私が昼間、パートでいないので…」
などという返事が帰ってきます。親の目の届かない場所にいるわが子との連絡
ツールとして、携帯を受け入れ、月数千円以上は使えないという契約をして、
子どもに与えている様子が伺えます。
 子どもたちは、欲しかった携帯電話を手に入れ、携帯を持っていない子ども
は、友達との会話に取り残されるという現象まで起きているようです。しかし
ここに、大きな問題が2つあると思います。

 親は、携帯電話を使いこなしていません。情報メディアの持つ魔力や文字だ
けによるコミュニケーションの落とし穴について、よく知りません。家庭内で
の携帯電話に関する教育は、「無駄遣いしない」「はまり込まない」程度でと
どまり、情報リテラシーやモラル、情報社会での人間の常識といったことにま
で、つながりません(だから、学校で情報教育が必要なのだけれどね〜!)。

 では学校で、情報教育として指導しているのでしょうか?いいえ、今の学校
は、携帯を眼中に入れていません。というより、目のカタキのような扱いです。
学校への持込は禁止。持っていることがバレルと、没収です。
 結局、子どもたちの携帯文化は、何の指導を受けることなく、見様みまね噂
任せ。しかし確実に子どもたちの価値観がおかしな方向に変わってきています。
 つい最近起きた、事件を1つ(これって、日本全国、どこで起きてもおかし
くないことです)。

 女子高校での話。クラスの中の協力という事に関し、意見や考え方の違うメ
ンバーが、諍いを起こしました。それをきっかけに、クラス内にあったグルー
プのメンバーチエンジもおき始めました。ここまでは、これまでもありがちだ
った事です。ところが、中の一人(Aさん)が不登校になり、その保護者が学
校に「Bさんから中傷メールが送られたため、ショックで娘は不登校になった。
Bの親に会わせろ!」と、抗議が入りました。学校は、Aさん本人を呼び、事
実の確認をしました。そして、送られてきたメールの差出人アドレスを学校の
メールアドレスに送信させたうえで、Bさんを呼びだし、事実を追求しました。

 しかし、Bさんには覚えのないことでした。「このアドレスは、私のアドレ
スのようだけれど、私は、そんなメールは送ってない」と言いましたが、なに
せアドレスがBさんのアドレスになっている。よく話を聞くと、Bさんには、
そのようなメールを送る理由や必要性はない。学校で少し、調べてみるという
ことになりました。しかし、方策があるわけじゃなし、学生間のありがちなト
ラブルのひとつとして、本人同士の解決を待つという結論になりそうでした。

 でもこの事件には、大きな見落としがありますね。もし、本当にBさんが、
中傷メールを出したのであれば、Bさんに対する指導と学級運営で終わる話で
す。でももし、Bさんが出したのではないのなら、誰が出したのでしょう?
しかも、Bさんのアドレスを使って…
 そうですね、成りすましの可能性が濃厚になってきます。情報社会において
は、決してしてはいけない恥ずべき「禁じ手」のひとつです。これまでの社会
では、「いたずらの手紙」としてうやむやにしてきたことですが、これからの
社会では、「うやむや」にしてはおけない課題です。
 今回の事件は、たまたま、Bさんのご家庭で、携帯電話の発信履歴を取って
いたため、Bさんの嫌疑は晴れました。「犯人探しはできませんし…」と、学
校は今後のことに対して及び腰のようですが、「犯人探し」ではなく、「調べ
れば必ず、事実は明らかになる。人として、恥ずべき行動は、してはいけない
のだ。」というメッセージは、送ってもらいたいものだと思います。

 この話をきっかけに、私が調べてみたところ、今、携帯電話を使った成りす
ましを支援するWebサイトが、あるのですね。そのサイトには、「PCに送
信したらバレバレだから送るなよ!」みたいなことが書かれています。これっ
て、犯罪幇助にならないのかしらね〜〜

 学校教育が、携帯電話を、じゃまなものとして切り捨てる時代は、そろそろ
終わりにしませんか?

 携帯電話を取り上げることは、情報教育の入り口のひとつとしても重要だし、
教育する必要があると思いますよ。




○提出物を読むのにてんてこまい の(2003/12/09)第102号より
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【kazumi のワープ】〜ノートをとる〜   小田和美
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 今の大学生は、中学・高校のころ(もちろん小学校のときも)、あまりパソ
コンを触ってきていません。でも若いですから、1年か2年パソコンを触って
いれば、じきに使えるようになります。しかし、パソコンを使って文書を作っ
たりネット検索したりできるということと情報を活用する能力とは、微妙に違
うようです。言い換えれば、コンピュータに慣れ親しんでいろいろ使えるよう
になることと、情報を活用する能力とは、微妙に違うということです。
 情報を活用していくためには背景として、情報を正しく客観的に受け取り理
解する能力、今何が必要な情報かを判断する能力、受け取った情報を整理し管
理する能力が必要です。これって、とても大切な力だと思うのですけどね〜〜

 子どもたちは(学生さんも含め)この力、意外と持っていません。でも、こ
の力をつけていくための良法だといえるとっておきの方法があります。ぜひ、
全国の先生方に取り入れてもらいたいのだけど、これまたいろいろな反論が返
ってくるかもしれません。ま、聞いてください。

 私は学生さんに、授業ノートを取るように指導しています。授業は、演習・
情報メディア(パソコン、ビデオなど)による情報提供・講義で構成されてい
ます。講義をするときは、プレゼン資料を見せながら行います。プレゼン資料
には、話の骨子が書かれています。学生さんは、資料を見ながら話を聞き、そ
れをノートにとっていきます。「きれいな字でなくても、自分で読めればいい
の。それより、自分で大切だと思うことを、後から見てもわかるように、ノー
トに取っていくのよ〜!」「黒板代わりのプレゼン資料は、話の要点(項目)
を書いてるだけだからね〜 内容をつかまなければ意味ないわよ!」最後の授
業のときにノートを提出してもらって、評価します。ノートの出来は、ピンか
らキリ。。。

 いろいろなノートがあります。きれいにまとめてあるけどプレゼン資料を写
しただけのもの、ほとんど内容を抑えられていないもの、流れをつかみ要点を
抑えて授業の様子がとてもよくわかるもの。。。
 面白いことに、「ノートの出来の良し悪しとその他の課題の出来の良し悪し」
とは深く関係していますが、提出期限内にきちんと課題を提出するかどうかと
いうこととは、あまり関係していません。

 授業は相当早いスピードで進みますので、その内容をつかんでノートに取っ
ていくということは、負荷の高い作業です。そのノートをうまく取れていると
いうことは、そうとう高いレベルで授業を理解できていることにつながります。
見事なノートを取る学生さんが、毎年何名かいます。そういう学生さんの話を
聞いていて気がついた共通点があります。何だと、思われますか?

 本を読むのが好き、字を書くのが好き、人とコミュニケーションをするとき
聞き役に回ることが多い・・・ いいえ、そうではないのですよ…
 大量・高速度に発信される情報(私の授業のことです・・・)を受け取り、
要点をとらえまとめ、ノートに取っていくことが出来ている学生さんは、高校
時代「自由にノートをとらせる」という学習環境を体験しているのです。

 この事実を知ったとき、正直、私は、新鮮なショックを受けました。多くの
学校では、先生は話をしながら板書をします。子どもたちは板書を写し、試験
前にはマーカーで色をつけて要点を覚えて試験に臨む… というスタイルが一
般的です。教師にとって、「いかにわかりやすく正しい板書をするか」という
ことはとても大きく大切な課題でもあります。でも、そういうスタイル自体が、
もしかして子どもたちの能力の芽生えを阻害しているという面があるのかもし
れません。

 最初はうまく取れなかったノートが、回を重ねるごとにうまくなっていくタ
イプの学生さんもいます。そういう学生さんの多くは、授業の録画ビデオを、
何回も見て自己努力をしています。「授業中、寝ちゃったの??」と、冗談半
分で聞いたら「いえ、一生懸命ノート取ってたつもりなんですが、課題をやろ
うとしてノートを見直しても、わからない部分があったので・・・」と応えた
学生さんがいました。メキメキと力をつけていきました。

 どこまでサバイバルな環境を用意し、どこまで手当てをするか・・・ とい
うさじ加減がとっても微妙ですが、いやおうなしに、「やるっきゃない!」状
況を用意し、何回も繰り返す失敗を許し見守っていく環境が、子どもたちの能
力を、大きく伸ばしていくような気がします。

 過保護な親が、子どもの可能性をつぶしていくことは、よく知られています。
でも、そういうことを知っているはずの私たちが、気づかないうちに、過保護
な教育によって、子どもたちの可能性をつぶしているとしたら…
 板書ひとつにしても、もう一歩も二歩も、深い配慮や計画が必要なのですよ
ね〜〜




○今年も、残すところあと、10日を切りました の(2003/12/23)第103号より
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【kazumi のワープ】
  〜ワクワクドキドキのクリスマスイブによせて・・・〜 小田和美
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訳あって、数年間、掲載を差し控えさせていただきます。




○またまた 暖かい お正月ですね の (2004/01/06)第104号より
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 【kazumi のワープ】
    〜お正月って、なんだろう…〜          小田和美
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 明けまして、おめでとうございます…
 う〜ん… 日本の習慣? 世界の習慣?
いずれにせよ、年の初めに交わされる挨拶として、
長い歴史を持っている言葉です。いつの頃からなのでしょうね…
 多分、人類が時間の流れの中から、繰り返す法則性を見つけ出し、暦ができ、
それをもとに時を刻みはじめた結果生まれた習慣なのでしょう。
 かつては、その言葉が人々に新しい時を予感させ、新たな決心をもたらし、
新しい年を迎えられたことを心から喜んだ時代もあったのでしょう。
生きていくこと、生活することに、
生涯のエネルギーの殆どを費やしていた頃には、
新年は心から祝うに値する行事だったのでしょうね。
 今も残る、料理や飾りにこめられた先人の知恵や想いを辿っていると、
人類の歴史の必死な堅実さを感じ、よくここまできたものだ…と、
深い感慨を覚えます。

 でもね〜〜 なんか実感はないのですね〜

 一度決めたものを変えることが苦手ですね、日本って。でも、それが逆に、
形骸化と価値の軽減を生んでしまうことが多い。お正月もそうですね。古い形
を踏襲することにこだわると、お正月そのものの意味が薄れていく… そんな
感じがしています。

 私は例年、年賀状は、新年を迎えてから書くことにしています。印刷屋さん
には出しません。
 新年を迎えたことを互いに祝いながら、ご無沙汰をリセットするわけですか
ら、その年ごとにアイデアしぼって、新年を迎えたなんとなくウキウキの気持
ちをこめて、書初めならぬ年賀状作成をしてきました。でもここ2〜3年、そ
れにも、違和感を感じ始めています。

 届いた年賀状を分けてみます。久しぶり〜! と、1年の変化を互いに伝え
合う、もらって嬉しい年賀状もあれば、印刷屋さんで大量生産された決まり文
句だけの年賀状もあります。正月明け、すぐに会って直接新年の挨拶が交わせ
る人から、形だけの年賀状をもらうと、むなしくもなります。ここまで形式的
になってくると「誰から来た、誰からは来ない」というだけの意味で、年賀状
が取り交わされたりもします。本来の意味や美しい文化は、そこで色あせます。
悲しい習慣です…

 いま残っている正月の手順の多くは、かつては深い意味を持っていました。
それぞれの時代に合わせ、私たちの先人は、伝統と呼ばれるしきたりを築いて
きました。私たちは私たちの時代に合った方法で、その伝統を築き続けていけ
るはずなのに、生活が豊かになると、伝統を築き続けるということまでおろそ
かになるのでしょうか…

 大切なのは、新しい年を迎え、気持ち新たに、また笑顔でチャレンジしてい
く心だと思う。形や方法に縛られていては、本来の「新年」がくすんでしまう
のではないかな? 

 ところで、我が家は正月早々、親・姉弟・孫が集まる新年会の直前、末の子
が急性虫垂炎になり、正月休みの病院をネットと消防署の救急医療サービスで
検索し、深夜のレントゲン・CT・血液検査などなど…の末、医師団の緊急招
集、手術… ということになりました。すばらしい情報網!! あわただしい
中、インフォームドコンセプトを受ける前に、インターネットでにわか勉強。
予備知識を得て覚悟をきめ、ドクターと納得行く相談の末、手術が行われまし
た。

 暮から正月明けまでの約1週間、高度医療機関も正月休みです。実際、わが
家の近くの大きな病院は、当直が専門外だったので受診できませんでした。こ
の情報網がなかったら(あるいは活用できなかったら)、たかが虫垂炎でも命取
りになるところでした。その病院の救急待合室は現在、昼も夜も、大混雑です。
救急車も、ひっきりなしにやってきています。お正月って、何なのだろう…
とても不思議な光景です。
 1月1日が大切なのだろうか… 3が日を休めることが、豊かな生活なのだ
ろうか… 古い正月のスタイルに縛られて、現代社会の機能が有効に働かなく
なってしまっていないだろうか…?? 

 大晦日、若い世代は携帯で、おめでとうメールを楽しんでいたようです。2
4時の頃には、接続状況が相当悪くなったようで、時間帯やメーカーによる接
続状況の違いを楽しんだりしていました(アハハ… だから余計に、接続状況
が悪くなるんでしょう〜〜!!)。
 ファーストフードやレストランは、1日からあいていて、高校生のバイトは
大忙しです。最近は、元旦出勤したバイトに、お年玉が出るようで「@@チャ
ンのところは、5000円もらったんだって!」「@@のところは、500円
だ〜!」などと、携帯で情報交換。
 でも初詣も大切なようで、新しい年の願いをこめて拍手を打ち、おみくじを
引いて一年の運勢を覘いてみることも楽しみにしているようです。この若い世
代が大人になる頃には、お正月はどのように様変わりするのでしょうかね…

 新年を祝い気持ち新たにまた人生にチャレンジする心は大切にしながら、新
しい時代に合った美しい伝統を、つくりつないでいきたいものですね。

PS)我が家の正月は、もう少し後になりそうです。今年の年賀状は、1月中
旬ごろ、発信になるのかな〜… 




○めっきり朝が寒くなりましたね の (2004/01/20) 第105号
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【kazumi のワープ】
    〜モバイル端末から情報社会を考える〜      小田和美
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 正月早々の、長男の虫垂炎騒動も無事終了し、15日、やっと退院となりまし
た。我が家はこれから、お正月です。明けまして、おめでとうございま〜す。

などと、正月気分になりたいところですが、世の中すでに、お正月は終わり…

 さて、永野プロジェクトがいま、学校現場における携帯情報端末としての携
帯電話の新しい可能性を試行実践していることは、「はじめに」で、お知らせ
しましたね。kazumi のワープでは、携帯電話と子どものかかわりについて、初
期の頃から取り上げてきています。最初は、2000年4月発行の7号。まだ、多く
のご家庭で、携帯電話は受け入れられていなかった頃の話。高校生はバイトで
携帯電話代を稼ぎながら、携帯を使っていました。程なく、大人社会にも携帯
電話が広がり、子どもの携帯電話の使用料金を支払う親御さんが、一気に増え
だしました。犯罪も増えました。メルユウという、互いの正体を知らないまま
言葉だけで心をつないでいく人間関係も表面に出てきました。犯罪も一気に増
えました。学校現場では「触れてはいけない禁止物」になりました。とっても
普及してるのに、携帯電話はなんとなく、肩身の狭いメディアになっています。

 だけどね、よくよく考えてみると、携帯電話の技術は、ものすごい技術です
よ! あの小さいボディ、軽く軽く、でも機能は満載! 電話で声が聞こえる
(電話する人は、メッキリ減少のようですが…)、Web も見れる、メール(文
字情報)を送れる、写真まで送れる! モノスッゴイ量の情報を、殆ど遅滞感
なく、全国に配信できる。多くのアタックに耐え、サーバーも管理されている
… そうそう、閉じると鏡になって、化粧直しができるというアイデア商品も
あったけれど、どうなったのかしらね〜〜

 小さいからって、小物じゃありません。使いようによっては、とっても強い
味方、怖い武器・・・ 高校生を中心とした学生文化から始まったこともあり、
大人社会はまだまだ、携帯を小物、あるいは(子どもには)不要物 といった
見方をしているようです。何かというと犯罪などに絡め、子どもに使わせると
きも、「イケナイ」「ダメ」「禁止」のルールが先にたちます。う〜ん。。。
 そうかな〜

 「イケナイ」「ダメ」「禁止」の原因は、携帯電話の機能ではないわ。子ど
もが持つからでもない。これは、携帯に限らず、「新参者」が現れるたび、常
に繰り返されてきたことです。原因は「私たち社会が、そういった人間の集団
なのだ」と言うところにあるわね。これからはわからないけど…
 情報メディアという「新参者」の出現で、自分たちの弱い部分や暗い部分が
増幅されてきている。広がるスピードが速すぎて、いままでのように時間と社
会的束縛の中で同化させる余裕がない。もともと、大きく生まれ変わる可能性
より、これまでの守りを主体としてきた文化。その中にもぐり、綿々と続いて
きた人の心の中の弱さ、狡さ、卑しさが、一気に増幅されただけのこと。もと
もと、原因は、私たちの中にあったのよね…

 アメリカで交通事故に会い、一命をとりとめリハビリを受け、日本に帰って
きたハンディキャップパーソンが言った、有名で鋭い指摘。「アメリカでは医
者もリハビリの指導者も、落ち込みそうになる僕に「キミには、これができる、
あれもできる、こういうこともできる」と可能性を数え上げてくれた。日本に
帰ってきたら、「キミはこれができない、これもできない、これはしてはいけ
ない」とできないことを数え上げられた。」
 携帯を取り巻く社会の反応を見ていると、この言葉を思い出します。

 もっと、前向きに可能性を拾い上げて、現実を受け入れてよい方向に持って
いかなきゃね〜〜!

 というわけで、永野プロジェクトで今年行われてきた「モバイル探偵団」な
る実践が意味を持つのですけどね。「通信」「デジカメ」「メール・リメール」
「端末認識」といった機能が欲しい! と言っても、現状では、そのような学
習に特化した形のメディアは存在しません。そこで、必要な機能の殆どを、持
っている携帯電話の利用と言うことになったわけです。先行的なプロジェクト
メンバーのいる学校でも、携帯を学校現場に持ち込むという実践に対して、い
くばくかの困難や抵抗もありました。まだまだそれが現状です。ご協力いただ
いた学校、関係各位のご英断決断には、感謝・感謝です! 当然、使用に先立
って、携帯電話使用心得も学習します。子どもたちは、本来、まっすぐで善意
の心を持っています。納得行く形でルールのわけを説明し、互いに心地よい携
帯端末の利用を呼びかければ、多くの子どもはそこで学び、コミュニティの一
員としての姿勢を身につけていけると、再確認できました。

 携帯を与えるとき、まず伝えるべきことは、「犯罪」「怖さ」といったこと
ではなく、「気持ちのよいコミュニケーションを取るための道具として、携帯
というメディアを大切に使おう」という、人間としての基本だと思います。そ
して「大きくなると、その大切な気持ちが壊されていく(悲しいですね・・・)
。携帯電話というメディアは、その壊された大人たちにも繋がっていて、キミ
たちと直接のかかわりが生まれる窓口でもあるのだ。」というメッセージは、
予防のために明確に伝える必要があるでしょう。具体的に「チェーンメール」
「スパムメール」「中傷・嫌がらせ」「成りすまし」「性産業の横行」といっ
た行為のあることを知らせ(だって、すぐにやってくるものね〜!)、それは
大人の社会では、人間として卑しい行為=禁止のルール、の対象であることを、
明示しておくことも大切です。逆にそれが、子どもたちの心を、守ることでも
ある。そう思うのね・・・

 携帯端末は、メディアとしては、優品です。武器となるか凶器となるかは、
それを持つ社会の質の問題です。しかし、もはや拒否はできない。社会全体が
そういう意識で、(携帯端末に限らず)これからの自分たちの問題に向かって
いく必要があるわね〜 これが、情報社会ってことなのでしょうね…

 だ〜れ?? 情報教育はなくなるだろう… なんて戯言を言っているのは…
 これからますます、情報社会と自分たちを、しっかり意識しながら捉えられ
ることが大切になっていくのですよ〜〜! ウフッツ!




○豚丼が売り出されたよ の (2004/02/03) 第106号
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【kazumi のワープ】
    〜インターネット上のフリーの文化〜      小田和美
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 インターネットは、これまでの社会に、いくつかの新しい価値観を生み出し
ました。そのうちのひとつに、共有財産 という概念があると思います。自分
の生み出した知恵の産物を、商売にしたり独り占めにするのではなく、「新し
い社会を作っていくための共有財産として公開する」という価値観です。フリ
ーの文化 と言われているものですね。

 フリーというのは、「勝手にどうぞお使いください!」という意味ではあり
ません。著作権はあるけれど、それを占有したり商品化せず、社会の共有の財
産として育てていくという考え方です。「ナ〜ンダ! 素人の作ったモノ?」
なんて思っていたら大間違いですよ。無駄のない、シンプルさ、開発者のポリ
シーが通った「優れもの」が、いくつもあります。仕様が公開されていれば、
それをさらに使いやすく改良したソフトが出てきます。そうやって育ってきた
ものの中には、次世代ではウィンドウズに取って代わるかもしれないなどとい
ううわさもある、リナックスなどがあります。
 開発した人が、インターネット上から消えていっても、他の人が受け継ぎな
がら、成長を続けているものものあります。ユーザで、支援のサイトを作成し
て解説やQ&Aのページを公開していたり、作品ライブラリを運営しているも
のもあります。一人ひとりの理念に支えられた「共生の世界」。経済や学問の
対象でないし、それぞれが淡々と静かな自己主張をしている、いい意味で地味
な世界です。でもね、kazumi 的には、これからの社会の可能性の一面を示して
いる、好きな世界です。誰も、作者を知りません。その作品の内容と質で、人
が集まり、新しい世界が広がって行きます。そして、その核となるソフト、使
えますよ〜!!

というわけで、今回は、kazumi ご用達、優れソフトの(一部)ご紹介〜〜!!

 ●まずは、初心者向きから
 フリーのソフト、どこにいけばあるの? という方は、窓の杜(http://www
.forest.impress.co.jp/)あるいは Vector(http://www.vector.co.jp/)と
いったサイトが、まずは入り口になるでしょう。窓の杜は、カテゴリーごとに
分けてあるので探しやすい。数の多さで言うなら、Vectorね。でも、そこにな
くても優れものはいっぱい転がってま〜す! 感と情報網で、ゲットで〜す!

 大きなファイルを圧縮・解凍するとき、lzh という名前をよく聞きますね。
吉崎栄泰氏が開発したフリーソフトウェア LHA で使われた形式ですが、まず
この形式で圧縮されたプログラムを、解凍するソフトが必須です。殆どのフリ
ーソフトは、圧縮されているか、あるいは exe形式(インストール形)になっ
ています。インストールするとシステムがどう変わるかわからないからイヤ!
 という場合は、lzh は、必須! lzh 形式に圧縮すると、文字情報主体のフ
ァイルは、とっても小さくな利ます。圧縮・解凍を簡単にしてくれるソフトを
持っていると、自分の仕事にも便利です。最初の頃は、設定とかが面倒で使い
にくかったのですが、仕様が公開されているため、使いやすい対応ツールが、
いろいろ出回っています。 私はね、Lhaplus というソフトを入れています。
Schezo さんが、開発者。
 サイトはこちら http://park14.wakwak.com/~schezo/

 さて、準備が出来たら、どんどんダウンロードしていきましょ〜う!

 Webページの構成やレイアウトはできた。ページを作りたいけど、Webページ
作成ソフトは、インストールしていない… 基本的なタグはわかったけれど、
まだ初心者。作成したいWebページを、全部タグで作成するほどの根気はない…
 という人に紹介しているソフトです。立道 哲さんが開発の「優れもの」で、
ワープロ感覚でページ作成が出来るWYSIWYGエディタ、タグが編集できるテキス
トエディタ、ビジュアルにフレームを編集できるフレームエディタの3つの絵
儀たを備えています。立道さんのサイトは現在閉鎖されていますが、ソフトは
脈々と残っています。
 http://www.vector.co.jp/soft/dl/win95/net/se077898.html で、入手でき
ます。

 作成したWebページをサーバーにアップするときには、曽田 純さんが開発し
た FFFTPが使いやすいです。左フレームの自分のマシンのファイルを、右フレ
ームのサーバーのディレクトリーにドラッグするだけで、アップロードが出来
てしまいます。http://www2.biglobe.ne.jp/~sota/ffftp.html で、公開され
ています。
 
 Webページでアニメーションを動かしたいときは、はっとりさん開発の、ジフ
アニメーションメーカーが、これまた便利です。はっとりワールドも、現在は
閉鎖されてしまったので、ダウンロードは
 http://www.mijutaro.net/kakurega/kaoani4.htm からおこなってください。

 作曲を楽しみたい場合は、クジラ飛行机が公開している「サクラ」がスゴイ!
 http://hp.vector.co.jp/authors/VA015424/
で、ダウンロードできます。はまります。

 イラストを描くなら、簡単なレイヤー機能もついた 柏木 泰幸さん開発の
PictBear が使えます。柏木さんのホームページ http://sleipnir.pos.to/
から、ダウンロードできます。

 プログラムではありませんが、知っておくと便利なサイトとして、色見本の
一覧 http://uic.to/support/topic/cgi/color.html も便利です。タグ一覧
は、いくつか使いやすいページがあります。自分の使いやすいお気に入りを見
つけておくと良いですね。

 最後に、極めつけ! 最近見つけて(中学生に教えてもらったのですが…)、
あまりにすごいので、(・o・)のプログラム。よしべえさん開発の SmaHey
です。画像を圧縮するソフトですが、圧縮しても、画像がキレイ!! 本当に、
キレイなんです。いま、年度末で、いくつかのプロジェクトの実践報告を取り
まとめていますが、学習の場面の画像ファイル、キレイな画像はファイルが大
きく、報告書全体が重くなります。でも、SmaHey を使うと、画質は落ちない
でファイルだけが小さくなります。いったいどうなっているのでしょうね〜!
 編集長も「絶句! 狂喜!」した(チョットオーバーかな??フフフ…)ソ
フトです。よしべえ工房(http://www.uranus.dti.ne.jp/~y-akita/)には、他
にも面白そうなたくさんのプログラムが公開されていますよ。

 こういうの、見つけて使いこなすの、子どものほうが早いし、いいカンして
ます。老いては子に従え… はい、面白いこと教えてもらうなら、従っちゃい
ま〜す!
 どんなプログラム知ってるか、が問題なのではないです。それを使いこなし
て、どんなものを生み出していけるかが、大切ですよね〜! 




○「ラストワン」ですよ の (2004/02/17) 第107号
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【kazumi のワープ】 〜私の学校時代〜      小田和美
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 ひとの考えや性格を形作るのは、家庭の影響が大きいですね。男女観なんか
ね、大学生になっても家庭の影響そのものです。でもね、学習に関する基本の
構えをつくっていくのは、やっぱり学校。しかも、いい先生との出会いが大き
いのですよね〜。
 私の場合はね…。

 小学校1年生の頃のノートに、男の子と女の子の絵が描いてあります。そば
に幼い字で、「@@さんが**クンをひっかいた。**くんは@@さんの髪の
毛を引っ張った。@@さんは泣いた。」と書いてあります。そうこれは、授業
のノートなのです。みんなにケンカ(?)の経緯が公開され、「どうしてそう
なったのか」「どうすればそうならなかったか」を考えた授業でした。どっち
が良いとか悪いとかという話は、先生はしませんでした。私たちから、最初は
そういう話も出ましたが、反論や異論の中で、そういう観点は消えていきまし
た。私はそのとき「泣けば勝ち!」のような話は通らない、ということを学び
ました。

 4年生から3年間、A先生が担任でした。月にひとつ、作文を書きました。
その全部に先生は赤字で校正をいれて返されました。良い作品が数点選ばれ、
毎月小冊子になって配られ、どこが良いポイントか説明されました。方針は一
貫していました。「自分の感情(うれしい、楽しいなど)を書いてもダメだ。
なぜそう感じたか、原因となる事実を、自分の言葉で表現していけば、人に伝
わる」ということでした。初めてとってもほめられた作文は、飼っていた文鳥
がタマゴを産み、ヒナが孵ったときのものでした。「二階のほうが日当たりが
良くて暖かいから、と、母が鳥かごを二階に置きました。学校から帰ると、二
階に駆け上がります。」という部分が、特に褒められました。赤字で「家中で、
孵ったヒナを大事にしている様子がよくわかりますね」と書かれていました。
今にして思えば、これが国語の基礎でした。

 社会のN先生が、大きな地球儀と大きな日本地図とものさしを持って、教室
に入ってきました。「今日は。工場を作るぞ!」そう言いながら黒板いっぱい
の日本地図を広げて、一人ひとり順に当てていきます。「オイ、何の工場を作
るか?」「どうしてだ?」「どこに作る?」「なぜだ?」「どんな準備をする
?」そのうち自由な発言が飛び交います。異論が出てきます。先生は必ず「な
ぜだ?」と聞かれます。そうやって私たちは、大きな港に近く川が流れている
どこかの平野に、精密機械工場を作ることにしたような記憶があります。今に
して思えば、模擬ベンチャーとディベートを混ぜたような授業でした。「物事
を始めるには、リサーチと根拠が必要なのだ」ということに、ワクワクしまし
た。先生のテストは、半分以上が自由記述のテストで、新しい課題が出され、
「それに対する自分の意見を根拠を挙げて述べよ」というものでした。採点は、
さぞかし大変だったと思います。でも、私たちは楽しかったし、先生も楽しか
ったでしょうね〜〜

 数学のM先生は、毎授業、2〜3分程度の5点満点の豆テストをしました。
どうということのない簡単なテストでした。「成績にはまったく関係ないよ」
というルールでした。でも、前の授業で行った内容のエッセンスが聞かれてい
ました。一度、座標のところで、1点を取りました。「次の点を、座標で表し
なさい」という問題で、原点、x軸上の点2箇所、y軸上の点、一般の点の五
箇所が聞かれていました。壷を心得た豆テストでした。「それで、みんなが試
験でいい点を取れば、みんな5でもいいのですよ…」という方針でした。

 地理のI先生は、教科書を一度も開きませんでした。毎授業、先生の作られ
た資料が何枚も配られました。「土石流」がテーマでした。土石流を軸に、自
然災害、公害、行政、地域社会、風土といったことを、学んでいきました。デ
ータを読む、テータのごまかしを見つける、テータの裏を探る、ということも、
学びました。今、考えると緻密な準備と、先生のものすごい想いを感じます。
 
 音楽のN先生は、上からしたまで、緑一色の先生でした。それぞれの個性を、
身をもって大切にされた穏やかな先生でした。ピアノをとても気持ちよさそう
に弾かれました。友人のプロの演奏家が時々授業に呼ばれ、私たちはプロから、
手ほどきを受けました。歌のテストは、全員の前で順番に歌わされました。歌
の苦手なO君が音をはずし、皆が笑いました。そのとき先生が、珍しく怒られ
ました。そして「音痴なんて、いませんよ。」とおっしゃいました。「本当の
音痴は、たまにいます。その方は病気です。病気の人を笑うのは、恥ずかしい
ことです。でも、君は、病気じゃない。いい声をしている。思い切って、声を
出してごらんなさい。自分の声をよく聞きながら、思い切って歌ってごらん。
音痴なんて、いませんよ。」教室は、シーンとなりました。O君が歌いました。
「いいね〜。もう一度!」「そうです。もっと声が出ますよ。もう一度!」…
 本当に、O君は、いい声のテナーでした。O君もうれしかったし、私たちも
うれしかった。欠席をしなかった人は、全員5をもらった授業でした。

 修学旅行は、班別行動でした。スケジュールから旅費まで、全部自分たちで
調べ、レポートを作成しました。当時ですから、手作りです。経費は請求し、
修学旅行委員のチェックの後、当日手渡されました。インターネットなんて影
も形もなかった頃です。調べるといっても大変でした。でも、あまり大変だっ
たという記憶はありません。時刻表、価格表、資料などは、すべて最新のもの
がなんとなく揃えられていました。私たち生徒の調べ学習を支えるため、裏で
先生方がいかに大変な苦労をさえれいたか、今になってわかります。

 学習環境という言葉があります。今は、インターネットやコンピュータ、教
室の配置、学校のレイアウトなどが、問題になります。でも、一番の学習環境
は、教員だと思います。子どもたちの学習を、どういう教員軍団で支えていく
かが、これからますます問われることでしょう。その時代々々、今までも今も
これからも、教育現場にはさまざまなメディアが入ってくるでしょう。でも、
それらをどう使い・使わせ、どのような学習を積み重ねていかせるかの鍵は、
教員の力量と想いが握っています。いつの時代も、手を抜けない、楽できない、
緊張と責任がドッシリある仕事です。でも、だから、面白〜い! ねっ?!
そう思いませんか〜〜???




○これが 最後号ですよ の (2004/03/02) 第108号
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【kazumi のワープ】〜どうなっていくのでしょうね、私たち…〜
                            小田和美
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 縁あって体育大学にいますが、体育系ではありません。小さい頃から「体を
動かすことは好きだけど、スポーツで競うのは好きじゃない」というタイプで
した。だから、今でも、異文化体験の毎日です。
 この大学では、教員養成の講座を担当しています。教育学部ではないけれど、
学生の9割近くが教員免許を取る、教員養成マンモス校です。体育系と呼ばれ
る世界で小さい頃から育ってきた学生さんが殆どです。指示・命令には従いま
すが自主的な自己目標達成型の活動を要求すると、指示末待ち状態になる人が
目立ちます。体を動かすことにはついてきますが、心や頭を動かすことには、
なかなかなじめないようです。ましてやコンピュータとなると「苦手だから」
と、平気で「食わず嫌い」をします。なぜ体育の教員になるのに、コンピュー
タや情報検索や調査・発表が必要なのか、ピンと来ないようです。

 「楽しい体育を子どもたちに体験させたいのなら、スポーツインストラクタ
ーになりなさいね!」 それが私の、彼女たちへのメッセージです。「あなた
たちは、体育の先生になるのじゃないのよ。保健・体育の先生になるのよ!」
 ハッとする学生さんが、少し出てきます(うれしいね!)。「あなたたちは、
スポーツが好き。楽しいことも知っている。だから、体育を教えることはとり
あえずできる。でも、保健をキチンと教えられなければ、教員免許を持つ資格
ないのよ。」と、脅かします。でも、ここで問題がおあるのです。殆どの学生
さんは、「保健をキチンと教える」という意味が、わかりません。「学習とし
ての保健」のイメージを持っていません。残念なことに、教育実習に行っても、
「保健の授業はしなくていいから」とさせてもらえないことが多いのが現実で
す。
 体育と保健という、似て非なる学習を一緒にして、教員免許を出しているこ
と自体に、根本的な間違いがあるようにさえ思えてきます。保健という教科は、
家庭科、社会、理科、と通じる部分を持った、人間社会の中で生きていくうえ
で、大切な学びを含んだ教科です。そう言っても、まだ、同意してくれる人が
少ないのは、それほど保健という教科が、置き去りにされてきた証かも知れま
せん。かく言う私も、この大学に来て、保健の学習指導要領を読むまでは、保
健という教科を殆ど知りませんでした。今では、とても魅力的な教科だと、思
っています。例えば、(1)現代社会と健康 の「ア 健康の考え方」「イ
健康の保持増進と疾病の予防」のところでは、ダイエット、サプリメント、と
いった身近なテーマを取り上げながら、現代社会の健康観を考えさせる学習が
展開できます。「ウ 精神の健康」のところでは、人間の欲求と適応規制が正
面から取り扱われていて、成長期真っ盛りの子どもたちが、人間のエゴや弱さ
を知り、それらが自分の中にもあることに気づき、認め、自分を成長させてい
く大きなキッカケを作ることができます。心理、認知、大脳生理学、そういっ
た、現代社会のワクワクもののネタが、保健の学習の中には、テンコ盛りにな
っています。私たち人間を、真正面から扱っている教科って、保健が筆頭!!


 私ね、いまの教科の分け方、無理があるように思います。学問体系の入門と
いうような発想から、教科を分けてしまったような感じね。でも子どもたちが
大人になって行く過程で学ぶことって、プレ学問とは違うと思う。「生きる」
「生活する」「コミュニケーションする」「表現する」「考える」「感じる」
「動く」… こういうような切り口で、教科を作っていく考え方もあると思う。
そうすれば、もっとより良い生活や人生を過ごしていく意識や行動に直結する
学習が、生まれてくるのじゃないかしら…
 どうなっていくのでしょうね〜 私たち…!!